七百年後の浄土真宗の如く
やる事ないので浄土真宗の本なんか読んで時間を潰しているボク。素晴らしい辛気臭さである。我ながらあまりの色気のなさに涙がちょちょ切れそうな生活だ。
しかしまあずーっと浄土真宗の家系であるわけだし、少しは自分の属する一派がどういうものであるかぐらい知っておいた方がいい。「門徒物知らず」と言うがこれは「門徒(浄土真宗の信者)はどいつもこいつも適当で全然仏教のブの字もわかっちゃいねえ馬鹿ばっかりだ。話にならねえよ」という意味である。 そして私もそうである。ロクにわかってはいない。そんなわけで暇潰しついでに七百余年の時を経て親鸞の教えを読んでいる最中なわけだ。全く仏教の本を読んで時間を潰すなどと私もじじいになったものであるとしか言い様がない。
ところで浄土真宗の開祖は親鸞聖人だが、当人は新しい宗派を作って自分を開祖の立場に収めようとの考えは一切持っていなかったとされる。親鸞が興したのではなく、親鸞の思想に影響された後人が考えをまとめ上げ一つの宗派を作り上げたのだ。 私も七百年後の世界で私の意志とは関係なく「ぽっちゃり宇宙教」の開祖として崇め奉られる立場にあるかも知れない。 池田大作じゃあるまいし私は自分の名前を後世に何が何でも残したいと欲する強欲者ではない。しかし偉人は周囲の人間が放っておかないものである。私のぽちゃさんに対する思想が理論として後の世の意志を継ぐ者たちの手により編纂され上中下巻それぞれ2000頁ほどに及ぶ哲学書或いは大叙事録として纏められている可能性だってある。 今から一週間以内に90kg超級のお淑やかだが性的好奇心旺盛な麗しいぽちゃさんに突然求愛されて快楽の限りを尽くす日々が訪れるぐらいには可能性大だろう。 レッツゴーターキンの天皇賞の例もある。世の中にはあらゆる事が起きる未来が隠れているのだ。私はレッツゴーターキンもムービースターも軸から捨ててしまいカスりもしない惨敗だった記憶があるが...ドンマイだ。 しかしである。考えてみれば私と親鸞は似ている。難行道を選ばず他力本願を主なる思想とし、ぽちゃさんを崇める事によって幸福をGETしようと考える私の行動理論は親鸞そのものだ。 目立とう目立とうと人前に立つ事を良しとせず、人々を導く伝説的人物という立場も私のぽちゃさんの教えに近いものがあるのではなかろうか。いや、ある。そう思ってしまえる今日この頃なのだ。 そして浄土真宗は私のぽちゃさんに対する思考と同じくかなりフリーダムである。 「ス、ス、ス、ス、スウェーデン...グフフ」 馬鹿野郎、それはフリーセックスだ!そもそもフリーセックスというのは自由奔放に誰とも彼ともやりまくれる世界の言葉ではない。隠したり誤魔化したりせずに開放的にセックスに対する考えを共有出来るようにする運動のようなものである。残念だが頭の悪いオヤジがニヤニヤしたくなるような事ではない。 「ス、ス、ス、ス、スウェーデン...ウヒヒフヘ」(聞いていない) 駄目だこいつ。ほっといて次行ってみよう。浄土真宗は結構戒律の緩い教えであるという話である。 坊さんも髪を生やしているし普通に肉を食っているし伴侶も当たり前のようにいたりする。ものぐさ坊主の温床と言えばそんな気もするが仕方がない。だって浄土真宗なんですもの。 かなり気軽な信仰が許される、悪く捉えればいい加減な教えなのだ。 だがぽっちゃり女性という基本さえ抑えておけば身長年齢胸の大きさに拘らず体重もプチから三桁まで受け入れる私の思想を考えて頂ければわかるように、多くの民に救いを与える教えは実に公平かつ平等であるとご理解願いたい。 七百年後、人類が滅びることなくぽちゃさんを愛する心が存続して続けていればそれは私のお陰かも知れない。 日本の誇る土着信仰の開祖として私の名前が伝え続けられていたら実に光栄だ。その時私の偉業を語る伝記の中に、麗しき一人のぽっちゃり女性が私を支える事によってROUNDABOUTは偉大なるステージに上がったと記されているかも知れない。 親鸞の妻恵信尼のように、歴史に名を刻むのだ。 君も私と永遠に名前を残したくはないか? 真実の預言者として、後世に存在の証を焼き付けようではないか。。
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