よくわかんないけど森田健作千葉県知事の事を考えてみた
千葉県知事に当選した森田健作が所信演説を行い「利権と決別」する政治という如何にもタレント議員的な公約を打ち出した。
勿論政治が利権と決別するなんて無理である。ただ既存の利権関係が崩壊し全く別の形として再構築される事はある。その間は利権主義が薄まった政治を遂行する事も可能だろう。 勿論その場合次の知事(或いはひょっとしたら森田健作その人)が新しい利権を作る仕事に精を出す事となる。人は所詮コネや利権から逃れられない動物なのだ。
とは言え現時点において利権でがんじがらめの社会が腐り崩れていく事は自明の理であり、そこで、口先では清らかな事を訴えるタレント知事が現れ当選したわけだ。 が、当然私は信用していない。 まず私はタレント森田健作なんか1ミリ足りとも興味がないし、それよりもやはりこれまでにも大きく報じられている通り、自民党支部代表の座にありながら「完全無所属」を謳い選挙戦を戦っていたという、初っぱなの段階から胡散臭さを感じてしまっているからだ。 「ぽっちゃり女性に自由と人権を」と啓蒙活動を行うデモがあったとしてその先頭でシュプレヒコールを唱える代表が175センチ45キロの骨レディだったりしたら世間はどう思うだろうか。 何かが違うとみんな気付くはずだ。理科室での水素実験をガラスのフラスコで行う先生ぐらい間違っている。「うる星やつら」の再放送を見るために友達の誘いを断る中学生がいたら君はどう思うか?やはり「それはちょっと違うよ」と教えてあげるのが大人というものだ。かくいう私も学生時代Vガンダムを見るために金曜はビデオで録っているにも関わらず速攻で帰宅していた記憶があるが...ドンマイだ。完璧な人間はいない。 そんなわけで少々の間違いは大らかな目で見てあげる必要はあるが、森田健作の場合は悪質というか異常行為である。どうしてこんなちょっと知っている人が見れば簡単にバレる嘘を吐いたのか。罪の意識なくうっかりミスで間違えただけなのだろうか。しかしそれでは"ただの馬鹿"である。じゃやっぱりわかっていて簡単にバレるような嘘を吐いたのか。その場合は"悪意ある馬鹿"という事になってしまう。こうなるとどっちに転んでもお馬鹿さん扱いされるわけであり、大変に困った状況と言える。 どれぐらい困った状況下かというと所信表明の後のインタビューでこの件に関するマスコミの質問に答えられずノーコメントを貫かざるを得ないまでに困っているわけだ。 自民党との関係一つはっきりさせられない男が県に蔓延る数多の利権構造にメスを入れられるのかというと「それは難しいのではないでしょうか」と思わざるを得ない。 毎日カレーライス大盛り3杯,、それもカツカレーで食べたいと主張するぽちゃさんがその上でダイエットしたいと言っても大変難しいだろう。 フィギュアのトリプルサルコウは難易度が低めの技だと言われても「じゃお前やってみろ」という事になった場合私には絶対に出来ないだろう。 零戦にしか乗った事がない老人にいきなりボーイング747クラシックを一人で操縦しろと命令しても無事なフライトは難しいだろう。 アメリカ合衆国に軍需無しで健全に経済維持してよと頼んでも、難しいと言うより絶対不可能だ。 難しいと言ったらありゃしないわけである。 選挙後、森田健作は自己の自民党支部を解散させたという。 何故選挙後なのか。政治献金の問題が発覚して解散する事にしたという話だけど、何の為にそれまで残っていたのか。ひょっとしてもし落選したら元の鞘に収まるために支部を残して置いたのか?だったら無所属じゃないのではあーりませんか。 しかしながらこの森田健作を糾弾するべく結成された「森田健作を糾弾する会」(そのまんまなネーミングですね)も非常に怪しい。正しく森田健作が訴えていた「利権に塗れた私欲の集団」である前県知事の残党がどうにかして己の利権を守るために選挙も終わってから大騒ぎしているとまこと密やかに語られている。私も何となくそう思っている。 こうなると誰を信じればいいのかという話になる。 しかし千葉県民が民主主義に則った選挙を通し、これまでの政策にNOと叫び、森田健作を新県知事として指名し選出たのだから、私のような臍曲がりの視線はともかく森田知事としては現在の千葉県を支配する利権支配の構造を、信念を持って打ち破る必要があるだろう。というかそれしか道はないだろう。誰に何と言われようとも。 独裁者が倒れると新しい独裁者が現れるのが人間社会の愚かなところだが、森田健作が果たしてミイラ取りのミイラにならずに真実の浄化を適える事が出来るのか、真に注目と言える。無理だろうけど。 うん、やっぱり無理だろうなあ。 変な政治資金の流れ一つはっきりさせられないタレント崩れに期待する程他人は甘くなく、かといって既存の政治家に信頼を寄せる程純情でもない。政治は難しそうなのである。しかしわからないものとして目を逸らすのも良くない。何故なら政治は私たちの住む日本社会の生命線なのだから。 ぽちゃさんはいい。ただそこで共に語らうだけで、心が浄化されるのだから。 森田健作には政界という泥沼で心清めるオアシスを持っているのだろうか。他人事ながら気にならないことがないこともなくもなくない気分なのである。
|