日本文化としてのぽちゃさん
敗戦国であり、しかもアメリカ型資本主義を取り入れた事により経済大国に発展したと言う事もあり、日本は戦後しばらく自虐的な価値観が続いていた。
実際のところ単独国家でこれだけの文化・経済を形成、維持している国などそう多くはない。例えば明治維新以前(つまり江戸時代)から存続する企業は全国に2500社以上存在し、100年以上となるとなんと10万社である。世界に存在する創業200年以上の企業の40%が日本に存在するという研究報告もあり、これは勿論世界一の数字である。伝統と革新、これこそが日本のネウチと言えよう。
そして経済を支える最大の要因が文化の熟成である。しがらみや縄張り意識が強すぎる事などの欠点はあれど、それでも日本独自の「文化」は強固で揺るぎない。 さて今でも欧州サッカーヲタクやMLBヲタなど、「世界は凄い、それに比べて日本は」と日本の不甲斐なさを責め立てる人種は存在するが、大分近頃はそんな論調も聞かれなくなってきた。左翼的傾斜がカッコイイとされてきた昭和の風潮も平成になり薄れてきたからだろう。朝日ジャーナルも、とうの昔に廃刊した。 考えてみれば日本人でなければラーメンにもカレーライスにもお寿司にもウルトラマンにもガンダムにも仮面ライダーにもドラえもんにも鉄腕アトムにもあしたのジョーにもドリフにも俺たちひょうきん族にも欽ドン!にもドラゴンクエストにも出会えていたかどうかわからない。 ファミコンも柔道も剣道もオセロも囲碁も花札もじゃんけんも忍者も侍も歌舞伎も能も大相撲もエロ漫画もみな日本の生み出した存在である。プロレスのように世界中殆どの国で消えた文化が独自の形で残っていたりする。日本固有の文明文化はかなり独特だ。ヤンキー文化、任侠文化なんて世界中のどこにあるものか?日本を除く世界中のアウトロー文化は、大体似通った形なのだ。 ガラパゴス文化と揶揄される事も多いが、世界が英語を母語とする単一文化に飲み込まれようとする時代において、逆に独自の文化圏を形成する事は大きな強みになるのではなかろうか。 そう言えば私が学生の頃は「欧米の学生は制服など着ない。こんな堅苦しい制度を頑なに続ける日本は息苦しい国だ」と言う意見も多くあった。まあ正確にはイギリスを頭にする英連邦系の国や元植民地だと制服文化も結構根付いているわけだけども(そもそもイギリスが発祥である)。 ところが最近ではフランスなどの一部女学生などがアニメで見たかわいい制服を自分も着てみたいとコスプレに励んだりしているという。そう言う発想もあるのかと、結構驚いた次第である(もっともフランス教育相で検討されている制服導入について当の学生や家庭では反対意見の方が多いと聞くが)。(*) ここで「ぽちゃさん文化」である。世界でもBBWやplumper、Fat Girlと言った豊満女性愛好文化は存在するが、「ぽちゃさん」「ぽっちゃり」「POCHA」と言う、微妙な愛好文化は日本独自のものと言えよう。この大切なぽちゃさんを愛する文化、未来永劫続けなければならないのではなかろうか。 随分長い前置きだったが結論はこれだ。つまりぽっちゃりとした女性を愛でる喜びは、ただ趣味嗜好の問題ではなく私たちの大事な文化なのであると訴えたいわけなのである。日本万歳なのだ。 先に書いたアメリカにあるBBWなどの豊満女体愛好は、ただストレートにバカデカい女体を愛するだけの趣味に思えてならない。いやまあそれはそれで良いのだが、私はそこに「かわいさ」を愛でる精神性を求めたい。つまりは大きな肉体を持つ女性の、心の機微を重視した日本人らしい繊細な愛の後奏曲を極めたく感じる次第なのである。何を言っているのか全くわけがわからんとか言うな。考えるな、感じろ。アチョー!君の中のブルース・リーが真実を知っている。 私は文化的発展を遂げた日本が好きだ。そして洋物より和物のぽちゃさんが好きだ。恥じらいとはにかみをどことなく併せ持つ日本のぽちゃさんが好きだ。 新たなる文化の生誕。 この日本に、ぽちゃさんを愛する文化を根付かせたい。 このささやかな私の願い、叶う時が来れば幸いだ。
(*)-全然本題と関係ないが若い頃のキツキツのセーラー服を着たぽちゃさんとか好きだ。
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