チチチ知的好奇心
人間歳を取ると新しい知識を取得しなくなりがちだ。好奇心も薄れる。最後に、未経験体位にチャレンジしたのはいつの話だったか...ちなみに私の場合立ちバックが最後である。わんわんスタイルとも言う。
15年ぐらいガンタンクを任されてきたパイロットが「明日からガンキャノンに乗れ」と命令されても「ええっ、私が、でありますか!?わたくし、足の付いているモビルスーツはちょっと...未経験なのでありますが、まあ命令と言うことでありましたら、ハイ、善処します」などと戸惑ってしまうに違いない。ハヤト・コバヤシは若かったので恐らく「ヤッター!これで走る棺桶から解放される!」と歓喜の雄叫びを上げたことだろう。これが老人と若人の差異である。
しかし私とてまだまだお乳や豊満女体に関する知識の欲求は健在だ。赤穂浪士やゴステロ、じごくのメンドーサ、ジャンボ鶴田をヘッドロックで締め上げ続けるリック・マーテルのようにしつこく標的を追い求めねばなるまい。 新しい知識が新しい体験となり新しい知恵を生む。私も頑張ってまだまだ脳というスポンジをフル稼働させたい。 例えば最近私が仕入れた知識にこんなものがある。 「防衛医科大学校を卒業した学生は9年以内に退官するとそれまでにかかったお金(最大約5000万円)を自衛隊に返さねばならない義務が生じる。しかし基本的に自衛隊内部で請け負う患者は肉体的に頑強で元気な自衛官とその家族ばかりなので、それこそ戦争でも起きない限りまともに病気をこじらせているような患者を診る機会は殆どなく、医者としてスキルが磨かれず、医者として最も大切な駆け出しの20代を殆どロクな臨床体験もないまま終わってしまう。それを恐れてお金を払ってでも退官していく医官は全体の3割にも及ぶ」 「へーえそうなんですか。ところでそんな知識が何の役に立つのですか」とか言ってはいけない。雑学の集合体こそが教養なのだ。 ただプリンプリンの肌や乳が好きだからぽちゃさんを好きになる。そんなシンプルな理由でも当然構わないが、人の意識とは全てがそんな単純なものではない。一見無駄なウンチクも、重なり重なってその人の武器となるのだ。 自衛隊に興味があるぽちゃさんだっているかも知れないではないか。そこから話が弾み愛が育まれる明日だってあるだろう。何事も可能性である。無駄に見える知識は決して無駄ではない。大学だってどこが専門学校と違うのかというと1、2年次の教養課程の存在に他ならない。ここを適当に過ごすと「何を学んできたの?」という事になってしまうのだ。私のように。 "本当の老化は、夢も見ず、自分の可能性にも見切りをつけたところから始まる。" と、フランチェスコ・アルベローニのおっさんも書いている。誰だか知らんけど。 今まで知らずにいた喜びの獲得こそが幸福の第一歩なのだ。知的好奇心の有無こそが人間が人間である意味である。でっぷりした女の子をもっともっと知りたいと欲する欲も、エヴァとして昇華される事だろう。 まだ見ぬ豊満女体との邂逅。それこそが、私の未来なのだ。
|