若者の車離れとな!?
若者の車離れが叫ばれて久しい。マスコミはいつもワンパターンな「若者のナントカ離れ」をネタに記事を書くが、車に関しては事実だろう。
車そのものの需要が無くなったわけではあるまい。これはぽっちゃり熟女風俗のニーズが無くならない事と同じである。しかし車に必要以上のステータスを付加して崇め奉る風潮は影を潜めたようだ。
私の世代から上の年寄りにとっては車が高度成長の象徴であり、富の標(しるべ)だった。車を「クルマ」とカタカナで呼び、人んちのガレージを勝手に覗き込んで値踏みしている種の老人は団塊の世代を中心に多々見られる光景である。退職金で300万400万はするだろう高級志向セダンを買っちゃうような方々だ。 まあ金を使わず貯め込んで死んでしまうような老人よりは経済活性化の観点において有益だが、如何にも昭和的な、臭い古い成金思考の匂いを感じる。具体的に言うと所ジョージの本を買って世田谷ライフとやらに憧れちゃうタイプの人種である。車には詳しいがパソコンは触れない世代と言うとわかりやすいだろう(私たちも近い未来、パソコン触るしか能がない典型的な平成老人世代と揶揄される時代が訪れるかも知れない)。或いはタイ旅行と言うと集団買春ツアーしか思い浮かばない世代のお父様方。 車自体が単なる交通手段の道具という(本来の)位置に落ち着き、特別な所有欲を満たす存在ではなくなった現代、人口の数分の一を占める都市圏の人々が高いお金と維持費と駐車場台を払ってまで車を欲するかというと疑問である。ましてやこの十数年の若者は虐げられている。有り体に言うと貧乏だ。そして車自体昔より性能が良く、最低ランクの軽の中古車クラスであってもさほどの不便を感じない状況(この5年程の軽、コンパクトカーの安定度の高さは驚愕ものだ。内装は総じて昔より簡素になったが性能的におかしな車は見事に淘汰された)とあっては無理していい車を買う人も減ろうと言うものだ。 女性人口におけるぽちゃさんの割合が1%くらいだったら希少価値も高まるだろうがこの比率を30%、40%と上げていけばぽちゃさんは普遍化する。そんな世の中が我々の理想形態だが、車は一足先に日常生活「そのもの」として人間社会への同化を果たした。 いかに新機能満載の新しい車を購入するかではなく、今ある車をどう友好的に活用するかがこれからのカーライフのあり方だ。ぽちゃさんも次々に新しい女の子をとっかえひっかえするのではなく今いる女の子と如何にお付き合いを深めていくかが重要となるだろう。停滞期の人類は進化ならぬ深化を求め行く方がいいかも知れない。ただの職場の同僚だと思っていたら実は肉欲に支配された変態ぽちゃ娘だったら幸いだ。身近の肉を有効利用する。これも一つの可能性の模索である。 「そうか、限りある資源の星地球!新しい女の子を捕まえてポイ捨てするんじゃなくて今いるぽちゃ女性を性的に支配すればいいんだね!こいつぁコロンブスの卵だ、その発想はなかった!」 わかってくれて嬉しい。 「いややはり何を言っているのか全然わからん。かいつまんで要点だけ書けよこの野郎」 うーんどこにも物わかりの悪い奴はいるものだ。 かいつまんで書くと、車は昔ほどの特別な価値がなく、わざわざ有り難がって新車を買って乗るような時代ではないと言う話だ。簡単に説明するとそう言う事である。 新しい車(ぽちゃさん)だけが持ち上げられる時代は終わった。 出会いも大切、今いるぽちゃさんも大切。 今そこに佇む君を幸せにする事こそ、男の本懐なのでは無かろうか。 そんな気がしないでもない事もない今日の私なのだった。
<おまけ>
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