2010ワールドカップ、完
プレトリアの風がネットに揺れ、日本はパラグアイに破れた。サッカーワールドカップ2010年南アフリカ大会が終わった。
「いやまだベスト8分が出揃った段階だよ、終わってねーよおっさん」と抗議する者もおられようが、日本代表が敗退した時点で頭の中のモードが「大会前はどうなる事かと思ったが振り返ってみれば見所のある良い試合を見せてくれた。ありがとう日本代表、君たちの勇姿は色褪せることなく語り継がれる事だろう。2010ワールドカップ、完」と切り替わってしまった方々は大勢おられよう。 隠す事はない、私もそうだ。
それとも君は普段からサッカーに親しみフットボールを愛していると公言し、わざわざCATVに加入してまでチャンピオンズリーグやプレミアはおろかリーグアンやエールディヴィジクラスの試合にまでチェックをいれているマニアだとでも言うのか?それならそれでポレはちっとも困らないが(石毛宏典:談)、そう言うのは超力ロボガラットのメモリアルDVDBOXをヤフオクで購入し「これで神田作品全部GET出来たよグフフ、パティちゃんは今見てもかわいいなぁ、萌えるなあウヒヒ」と鼻息荒くエレクトしている変態アニオタ野郎とどこが違うのか。 私は常日頃ぽちゃさんの事は考えているが、サッカーの事など考えていない。ましてやワールドカップはまだしもJリーグの事なんて殆ど思い浮かべる事もない。それはこのブログの読者の皆様なら薄々気付いておられるものと思われる。ほとんど全然Jリーグネタないし。 Numberを読んで悦に入っている評論家もどきのサカヲタとアニメージュを創刊号から全冊揃えているアニヲタと何が違うのか?違わない、同じである。傍目にはオタクなんて何も変わらないのだ。それが証拠にNumberに掲載入れているコラムは全部読んでいて気持ち悪い。まるでホモのラブレターである。現実は認めなくてはならない。 趣味人である事は結構だがそれが日本国民の共通感覚だと思ったら間違いだ。大衆とはもっと軽くて冷たい存在である。はっきり認めようではないか、大多数の日本国民にとってワールドカップは終わったのだ、と。 そんなわけで終わったものとして話を続けるが、やはり「勝つ事」は良い。こないだからしつこいようだが勝てば良かろうなのだ。 勝てば岡ちゃんの「最後までシステムを固められなかった優柔不断な姿勢」も「最後まで柔軟にシステム変更が行えるクレバーな対応」だと思えるし、開幕前のだらしない保身的な泣き言も「自ら協会に進退伺いを委ね退路を断った勝負師」とメディアをリードする事は可能だ。本田をワントップに就かせたのだってどうしようもなくなって選手に丸投げしたのではなく信頼して任せたと言う話になるし、ひどくつまらないインタビューやキャンプ地の歓迎会をキャンセルするプロ監督としての器の小ささも、あくまで試合、勝負のみに徹した大衆に媚びない能力派指揮官に見える。愚将岡ちゃんも勝利によって名将岡田武史に早変わりである。全く勝負の世界とは恐ろしいものだ。しかし他人事ではない。 ぽちゃさんの素晴らしさが理解出来ない人類は愚かだが、現実にわかっていない民は多い。マニアだけのものではなくたくさんの人々の脳幹・体幹にそのありがたみを叩き込まなければならない。サッカーの世界でも業界ぐるみで啓蒙活動を続けているのだろうが道は遠いという事だ。勿論サッカーがなくとも人類は滅びないが愛がなければ人は滅びる。それ故サッカーがどうなろうともぽちゃさんの栄光きらめく未来はボルドーもといナントしてでも手に入れねばならないが、簡単ではない。大変だ。 1998年フランス大会予選からはじまった岡田JAPANはその歴史を終えた。 だがぽちゃさんの明日は続く。幸福を求めて彷徨う肉塊(女体)がこの世にある限り、私たちは敗退するわけにはいかないのだ。
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