学問、そして大隈重信アーンドぽちゃさん
日本の大学生と言うと文学部出身なのに銀行マンになったり美術学部出身なのにセールスマンになったり、大学で学ぶ内容と就職先での業務内容との差異が激しい。宮崎駿なんかも政経学部からアニメーターになっている。
こうなると学校で学ぶ学問の専門性ってなに?って話になるものだけど、実はそういった雑多性、多様性が認められる社会というのが日本の教育システムの強みだと思う(と言ってもまあ、私は他の国のエリート教育事情など知らないわけなのだが)。(*)
なぜ全ての大学で一般教養という学科・専攻ともまた無縁の勉強をする期間が学問のスペシャリストを育成するための最高学府で一、二年次に与えられるのかと言うと、多角的な知識の蓄積こそが専門性に深みを増すからだと聞いた事がある。アニメや特撮に文学性が与えられたり、最新機械技術が軍需や拓殖ではなく家電で有効的に運用されたりと、独自の進化を日本企業が辿るのは偶然ではあるまい。 日本の大学システムもそれを物語っている。ぽちゃさんの麗しさを語るにも、多角的なものの見方が大事なのではなかろうか。幾つかの学部を例に挙げてみよう。
外国語学部 - 海外に点在する洋ぽちゃさんと仲良くなるための学問 芸術学部 - ぽちゃさんの愛らしさをを学術的にクリエイトする学問 医学部 - ぽちゃさんの肉体を健康的に肥えさせる学問 農学部 - ぽちゃさんに食べさせるための農作専門システムを確立させるための学問 社会学部 - ぽちゃさんの行為行動における社会構造の変動を見極める学問
ざっといくつかの学部を調べてみたが、いずれの学問もぽちゃさんの麗しさと直接の結びつけが可能である。 「そんなわけねーだろバーカバーカバーカ、糞して寝ろ」とか言ってはならない。多少強引な理屈ではあったかも知れないが、如何なる角度からコンタクトを取っても正しい答えに到達するのが真実の学問というものである。 「愛欲は脳、肉欲は腕、肉を合わせ合うは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大いなる力がいる、これは肉布団である。肉女体そのものは人間の生命である」と大隈重信も語っている。さすがは早稲田大学の創設者、佐賀県人なんて大した事ない、ただの田舎者だと思っていたがお見それした、シャッポとパンツを脱ぎたい気分である。まるで学問の神様だ。 そんなわけでWikipediaで学問の神様とされる菅原道真を調べてみたら、何と大隈重信は菅原道真の子孫だと言うではないか。ついでに菅直人も! 嘘吐けアホ。と言うかさすがの菅直人も「いやそう言う言い伝えもありますけどね」とこの件に関してはしどろもどろなのだそうだ。要するにまあ、自分の近い先祖がそう言う「自称」「騙り」を駆使する嘘吐き野郎であるとあからさまには言えないと言う事なのだろう(民主党の党首なのだから嘘吐きの血筋というのはピッタリな気もするが)。そんなわけで菅首相はともかく大隈重信も昔の政治家らしく色々と自分を大きく見せるためにハッタリは何でもかました男だったと言うから、まあ完璧に信頼出来る人間ではなかったと言う事だ。しかし全ての学問がぽちゃさんにも共通する真実の学究へと繋がるのなら、早稲田大学(東京専門学校)の創設も無駄ではなかったと慰めてあげたい。 ぽちゃさんの愛らしさが全ての学問の基盤となる世の中ならば最高だ。 何が最高なのか自分でも書いていて実に意味がわからないが最高だと言ったら最高だ。 多角的、交雑的な学問の追究が日本独自の土壌を生み、ぽちゃさんもその上に成り立っている。 愛らしさはただ「かわいい」の一言で済まされぬ意味を帯びているはずだ。私はその全容を知りたい。 終着駅にあるタダで手に入る機械の体を求めて、私は旅を続けるのだ。 メーテル、メーテル、メーテル!くそーだらしない情けない、ぼくは涙が出て来たよメーテル。
(*)-ここでは今回、庶民に学を与えた日本学問システムの根幹を成す寺子屋の歴史等に付いては問わない事にする。面倒臭いから。
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