読売新聞が益々老人化している
"(略)本物のジェームズ・ボンドは映画の彼そのままに「美女と速い車が好きなスパイ」だったという 過去のスパイたちがベールを脱いでいく時代なのだろう。アフガンやイラクといった混迷の地を見れば確かに、「女性のほうに少々」というセリフの似合うスパイが活躍しそうな場所ではない。"
多少端折ったが、読売新聞「編集手帳」の一節だ。編集手帳とは朝日新聞だとあの下らない、もとい、有名な天声人語に相当する一面コラムである。英国の情報機関(MI6)の本が刊行され、ポンドのモデルとなった人物の人となりも紹介されていたそうだ。気になるのは007のボンドガールは何故皆ボインだがスリムなのだろうかと言う事だ。ぽっちゃりしていた方が百倍かわいいではないか、間違いなく。
今日もぽっちゃりしてかわいい四十代後半と見受けられる会社一爆乳なお姉さんが雨に濡れ乳首ポッチで入社してきた。ガリ女にあの艶やかさが身に纏えるものだろうか?否、纏えぬだろう。 それはいいが今も昔も諜報活動の場は熾烈で残酷な世界である。それこそ映画ではない。昔のスパイは牧歌的で良かったとでも本気で思っているのだろうか。読売新聞はいい加減この手の「昔はよかった」的論調を馬鹿馬鹿しいとか思わないのだろうか。 購読者の高齢化が進むにつれ、過去を美化し現在を憂う傾向がマスコミには窺える。単純にデスク級の役職者が年寄りで、しかもそこそこ出世している人間ならば洋々な人生を送ってきたわけで、過去の肯定が全ての発想のはじまりなのだろう。 だから昔はのどかできれいで純朴で、美しい思い出として蓄積される。そこには公害多発の現実も、世界大戦による虐殺の事実も記憶から追いやられる。意図的にか無意識にか都合の悪い記憶を忘れてしまうのだ。 のどかできれいで純朴だったのは子供の日の記憶であり、時代の記憶ではない。 自分が年をとって衰えてきた姿を認めたくなく、現実と向き合えないから、衰えを感じてきた今という時代に責任を転嫁しているだけだ。騙されてはいけない。「昔はよかった」なんて真実と向き合えない卑怯者の妄言だ。 だいたい昔はCカップDカップ程度で「巨乳」などと呼ばれていたのである。そんな原始時代みたいな昔のどこがそんなに素晴らしい日々であったものか。昔はよくない。よいと言える昔は、真に秩序が保たれていた一時に限られた話である。 読売新聞と言えば最近も携帯電話の排斥キャンペーンを続けている。時の老人デスクの意を受けて、多分十五年前はパソコンにのめり込んではいけないと訴え、その前にはテレビにのめり込んではいけないと叫んでいたのだろう。何事も物事にのめり込みすぎてはいけない。これは事実だが、それは個々の事象自体の問題ではない。 円が360円だった時代しか知らない老人に82円の現代を語れないように、進歩を止めた老人は人間社会の弊害となる。間違えてはならないが、これも老人そのものの問題ではなく、古い人間がそのまま権力の中枢に居座っている事が問題だと言う話しだ。勿論82円に至るまでの道のりを見据えてきた老人ならば、その知識は知恵となる。 速報性でネット、ラジオ、テレビの足下にも及ばない媒体であれば議論を掘り下げた、冷静に深化した見解を記述する場であるべきだが、新聞は大本営発表垂れ流し&煽りまくりの時代から民衆と権欲者を煽り、広告をかき集めてきた煽動者に過ぎぬ歴史しか積み重ねてこなかった。 「偏狭で偏った都合のよい報道」を垂れ流してきたわけだが、誰にとって都合がよい報道であったかと考えればそれは読者のためではなく自分たちのためであった事は言うまでもない。私は民主党が大嫌いだが、数少ないまともだと思えた記者クラブ制度廃止に向けての動きも必死になって新聞社は潰しにかかった。どんなに偉そうな言葉を書き綴っても癒着と利権の構図に目をやれば真実は見える。 出会い系サイトでもぽちゃさんが好きだと言いながら、「60キロまで」などと条件を付ける阿呆も存在する。クルクルパーの妄言としか言い様がないが至って真面目にそう書いているのだろう。バカの書く文章なんてその程度の意味しかないが、新聞の場合書き手がプライド高いエリート様ときているから始末に負えない。 それでせいぜい頭を必死に振り絞って形となった論説が「携帯はよくない」「昔はよかった」では、新聞社とは何のため、誰のために存在するものなのか、意味がないではないか。 新聞の良い点は満遍なく多彩な方面の話題が掲載され、自分が興味を持っている話題にしか関心を示さない頭でっかちな読者に多様な知識を提供するところだ。それがお金持ちのスポンサーに牛耳られ、ご立派なプライドを持つ記者による偏向記事とテレビ欄しか存在しない印刷物では何の存在意義もない。 どうも読売新聞がおかしい。 元々読売ジャイアンツや日本プロレス、読売クラブ、読売旅行社、よみうりランドなどの多角経営手段を見てもジャーナリズムと言うより商売人思考が色濃い民主主義的コングロマリッドを形成してきたわけだが、時代の流れに乗り切れずと言うか、排他的懐古主義型主義主張が強く紙面を覆い始めた様相である。毎日新聞社はとうの既に終焉を迎えつつあり、朝日新聞社が時代遅れの左翼最後の拠り所として斜陽を迎える中、読売もそのバイタリティを失い多くの利権を飲み込んだまま滅び逝く明日を迎えるのか(*)。 今を見据える事の出来ぬ者に未来は来ない。 今愛するぽちゃさんがいてその思いが我が身を満たしていれば今という時代が一番幸福で肯定されるべき時間である。 嘘を固めてまで過去を美化する必要などない。 そんな風に思う、会社宛に送られてきた読売新聞を勝手に盗み見しながら思う秋の日の私であった。
(*)-「右翼の友」産経新聞社については面倒臭いので割愛する。
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