これからのJAPAN
昨秋、民意により自民党政権が打破され、癒着と利権の構造から長年甘い汁を吸い続けてきた権力者が引き剥がされた。これは民主主義の勝利と言える。問題は代わりに舵取りをする事となった政党が民主党だった事だ。これは民主主義の敗北と言える。
民主党は愛らしい理想のぽちゃさんではなかった。それははじめから存在しない夢の世界の存在だったのかも知れない。 小沢一郎は自民党内の議員がばらばらに所有していた各種利権の構造を自らに収束させるようにした。権力の一本化である。つまり独裁だ。民主党に一票を投じた人々は癒着と利権の構造を嫌って自民党にノーを突きつけたわけだが、事態は何も変わらなかった。寧ろ悪化である。利権の独占が国家国民に産み落とすものはない。
日本中のぽちゃさんが全男性人口の1%に独占されていたとしたら私たちも革命を起こさねばなるまい。マルクスやポル・ポトに言われるまでもなく、富の独占は人類に不平等を齎し果てる。 ただ、間抜けな独裁者が打倒された後、次に現れる権力者も同じように間抜けな独裁者である事は歴史的に珍しいものでも何でもなく、どちらかと言うと通常の出来事、いわば常識だ。 組織は腐る。自浄は難しい。これはもう仕方がない。その上利権構造は政治経済を円滑に運用するための必要悪とも言える。 それ故に都度権力者の交代が起こる特性(集中を許さない、回避可能)こそが絶対民主主義最大のメリットだ。誰にでもぽちゃさんをGET出来る可能性が与えられるのだ。それはあくまでも可能性の話であり、それ以上のものではない。ぐゎ、結果における平等を約束しない代わりに可能性に対する平等を保ち、チャンスの門を閉ざす事なく佇む姿こそが現代民主主義の概念であろう。 あの中国共産党ですら毛沢東を概念として祭り上げるだけで、現実には指導者の交代を意識して行っている。硬直した組織の弊害を理解しているからだ。無論一党独裁下における限界、弊害は隠しようがなく、疲弊は進行しているわけだが。 さて権欲と政局と土地と脱税、要するにお金にしか興味のない小沢と金蔓の鳩山なるコンビは、政権奪取の掛け声とともに表舞台に躍り出た。が、結果はみなさま知っての通りである。正直鳩山内閣は、あれでも、当時の民主党に出来得る限りの、最上の組閣だった。それは小沢と鳩山の影響を排した菅内閣閣僚の脆弱な顔ぶれを見てもわかる。鳩山内閣で人材は尽きたのだ。しかもただでさえ人材不足なのに細川、岡崎、柳田と言った素人目にも問題のある爆弾を要所に考えなく配置した時点で悪い予感はしていたが、案の定菅総理は国政のビジョンなしの、ただ口うるさく立ち回りが上手いだけの煽動者に過ぎなかったと言う結果に埋没してしまった。安倍元首相から実践能力を省き、常に逃げ腰にしたと言う印象しかない。 民主党は小沢・鳩山体制が崩壊した今こそ一枚岩となって国政に挑むべきだった。しかし実際に行われた事は、党内で傍流へと追いやられていた旧日本社会党の残党が勢いづいてのぼせ上がっただけだった。仙谷は、素人しかいない内閣を見て、とうとう自分の時代が到来したのだと驚喜したに違いない。憧れの豊満女体の乳に初めて触れたあの日のように。 左翼は建設的発想が出来ないから内ゲバしか能がない。自信がないからオープンに立ち向かえば良いところを秘密主義で貫こうとする。嘘を嘘で塗り固めるからにっちもさっちも行かなくなってただ権利を訴えるだけのマシーンと化す。行動を伴わず、信条の不確かな日本社会党に一度でも所属した議員を信頼する趣味がないと言うのは私の偏った暴論だが、民主党を見ている限りさほど誤った認識とも言えないだろう。 この先民主党政権が何処へ行くかまだ誰も知らない。当の本人たちにもわからないだろう。 私はぽちゃさんを炊きながら高みの見物と行きたいがそうも行かない。民主党政権日本丸の一員なのだから。 私の運命も、愛しのぽちゃさんの運命も、民主党次第である。私故人は選んだ覚えはないが、民主主義政権下に置いて私たち日本人が選んだ政権だ。運命には従わねばなるまい。 恐ろしい時代になったものだ。
|