来るべき未来 ←このタイトル二度目だった
こないだ朝の新聞を何気にめくっていたら七十三歳で小説家デビューを果たした多紀ヒカルという聞いたこともないじじい、もとい、ダンディなお父様が紹介されていた。
六十年安保を体験したモーレツサラリーマンの残党だが、送り出した作品は年齢を感じさせないコメディタッチの恋愛モノだと言う。 「星新一のショートショートに影響された。人と同じ事はやりたくない」そうだ。
"星新一に影響を受けた六十年安保体験元モーレツサラリーマン"と言う時点で他の人と同じ事をやって歳を重ねてきただけの人間に見えない事もないがそれはまあいいだろう。肝心なのは、彼が自分のやりたい事に向かってチャレンジしたと言う事実だ。 思えば人の一生は妥協と変節の積み重ねだ。野村克也は生涯一捕手を謳ったが、まあ普通の人はそうもいかない。そもそも人生とは変動するものだ。あの優しいキャスバル兄さんだって最後はアクシズを地球に落とそうとした。泣きながら八百長じゃない、格闘技なんだと訴えていたプヲタは今口を噤んでいるか或いは「プロレスはエンタメ。オ、オレは最初から知っていたよ...」なんて具合に言う事を変えている。間抜けな話だ。 その点私などは分厚い肉と乳に覆われたぽちゃさんを愛する紳士として一つの生き様を貫いている。流石だ。しかし何もこれは私が優秀明晰で他者も羨むナイスガイだから、と言うわけでは決してなく、ぽちゃさんと言う女性たちが麗しく素晴らしい存在であるからに過ぎないのだと謙遜させて頂きたい。つまりは信仰の対象が正しかったと言う話である。 大きく正しい方向性を向いていれば多少の揺れはあっても間違いのない未来へとゴーゴーヘヴン出来るはずだ。 しかし自分に嘘を吐かず信じるものに懸ける生き方は難しい。ぽちゃさんが好きだが普段全くモテず、たまたま仲良くなった女性がガリガリの骨女だった場合、ガリでもいいから一発決めてしまいたいと思ってしまうのが普通の男と言うものだ。 人は皆ヒーローにはなれない。ハヤト・コバヤシみたいなものだ。それでもハヤトはフラウ・ボゥを我が手にしたから幸いだ。カーネーションでも勝さんはどうにかこうにか糸子を嫁に出来た。これはつまり何の取り柄のない人間でも一途な想いを貫き通せば願いは叶うものだと言う証左である。もっとも二人とも後には戦場で非業の死を迎えているわけだが...まあこれは願いが叶った代償と考えればいいだろう。まどか☆マギカを思い出して貰えれば結構だ。 自ら追い求める夢を完徹するのは難しい。 私はいつまでぽちゃさんを追い続ける男でいられるのだろうか。未来は恐ろしい。
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