実際女体の乳部凝視中に怪しい奴として職務質問を受けたらどう答えればいいのだろう。「見てわかりませんか、仕事中です」と言い返せば済む話だろうが、「見てわからんから聞いているんだ」と返されたら正直上手く切り返せないかも知れない。お巡りさんだって夏の日差しで脳がスパークしているのだ。イライラしていたら厳しく問い詰めて来ることもあろう。そうなったら困った事だ、実際今日の私は乳ばっかり観ていた気がする。それ程までに仕事中でありながら通りすがりの女体を凝視し続けているという自覚がある。これはどう冷静に考えても立派な社会人とはいえない。生命体としては正しくても、人間としては正しいとはいえない行為もある。例えば魅惑的な女性を街で見るたびに興奮して局部を押し付けようとする男がいたらどうなるだろう。多分たくさんの人々に多大なる迷惑が掛かるはずだ。我々は犬猫ではないのでそこら辺自戒して生きて行かなければならない。 それにしても今日は多くの乳を目の当たりにしては来たのだが、あまりぽちゃさんを見なかった気がする。やはりぽちゃ女性とは、暑い日は外に出歩きたくない人種なのだろうか。あと、ぽちゃさんの場合たまに炎天下を歩いていてもTシャツとかタンクトップ一枚、みたいな夏の恵みファッションの子はあまり見ない。気のせいではない。 照れる必要はないのだ。私は喜ぶ。そういう事を十分理解した上で皆様薄着に励んで欲しく思う。 そして以前も何度か書いたがチェコはプラハのように、町を歩む女性の数十%が明らかなノーブラで突き進む国民性となってくれれば何もいう事はない。かつて日本人女性は着物が主流だった時代下着を着ける習慣がなかったという。ああ無常、古き良き日本は遠くなりにけり、だ。西洋文明による文化的侵害と断定してもいいだろう。しかしチェコにしろスコットランドにしろ本場西洋だとノーブラ女性を見かける率が高い。何故元々下着文化のなかった我が日本の女性の方が下着着用率が高いのだろうか。大いなる矛盾と憤りを感じる。 それに西洋文化の影響はとんでもなく大きいくせに、例えばヌーディストビーチや北欧系のフリーセックス思想なんてものは中々輸入されないのも我が国の特徴だ。 江の島海岸がヌーディストビーチなら私は二、三日に一度はスクーターを飛ばして波打ち際に駆け付けるだろう。森戸海岸(葉山)なら週一度、九十九里浜なら月一度、という所かな?距離からいって。 しかし日本にはそういうただいるだけでウキウキしてくるような場所が存在しない。もっと豊かな感情に包まれた未来を信じる事の出来る国になったら幸いだと思う。 そのための第一歩として国民の義務である選挙投票に行って来ようかと朝の時点では思っていたのだが、すみません、夕方になったらすっかり忘れていました。普段政治の事なんてまるで考えていないからこんな結果になるのだろう、反省したい。選挙の事なんて昼以降全く思いださなかったというのが本当である。今日はずっと乳の事しか考えていなかった。 男らしいといえば男らしい。誰だって選挙より乳の方が好きだからだ。だから成人男性としては今一つでもオスとしては間違っていない、それでいいではないかと自分を弁護してあげたく思う。 私は乳が大好きだ。この自分に素直な感情、大切にして行きたいと思う。 突然ですが訃報です。 Karl Charles Istaz, known internationally as Karl Gotch, passed away at 9:45 p.m. Eastern time tonight. He was a few days shy of 83 years old. Wrestling Observer より カール・ゴッチが亡くなられたらしい。昭和のプロレスファンの生き残りとして心より合掌。 ゴッチを知っている人も知らない人も関係なく祈りを捧げて頂きたい。