ぽちゃ、そしてドラゴン -THE BIG BODY( or BOIN)-
物事にはすべからく光と影が存在する。 対極或いは真逆に見える物でも、目を凝らして見てみれば新たなる真理が浮かび上がるものだ。
物理学で言えば量子論と相対性理論の関係があげられる。 彼らはそれぞれ近代物理を支えてきた基幹理論にも拘らず最終的な所で絶対的な相違を見せ相容れぬ存在とされてきたが、その両者を結びつける可能性を持つものとして超ひも理論を生み出した。 超ひも理論については名著「エレガントな宇宙」を読んで貰えればいいだろう。 これは超ひも理論を理解するのに現在最高峰に位置する読み物で、大体どの書店に行っても物理コーナーに埃を被って置いてある。 この本の素晴らしさを説明しよう。 私は毎年一度はこの本を読み直すのだが、読む度に新鮮な感動と叡智を与えてくれる。 何故かというと内容が難し過ぎて、久し振りに読んだ時には前回読んだ時の内容をサッパリ覚えておらず、従って毎回「こんな凄い理論があったのか!」と衝撃を受ける塩梅だ。
無論「それって理解したって言えるのか?」と親愛なる皆様はお思いであろうが、ここではエレガントな宇宙が名著である事が重要なのであり、私のキャパシティ・オブ・ブレインは問題ではない。
もう少しわかりやすい例として、読売ジャイアンツと横浜ベイスターズの関係に置き換えてみよう。 公平に見て歴史的に巨人は強豪球団で横浜(大洋)は弱小球団に分類される。即ち表と裏の関係だ。 横浜ファンの私としては納得いきかねる話だが、何をどう考えても事実は事実なので仕方が無い。 大洋は弱いから、強豪球団(つまりこの場合は巨人)をお手本として追いつく努力をしてきた。 まあ昔から大洋を見ている私とすれば本当に努力していたのか甚だ疑問だが、ここはしていた事にして貰いたい。そうでなければこの球団のファンを長く続けてきた自分が虚しすぎる。 では強豪球団である巨人は大洋を見てどう思っていたか? 「あんな馴れ合いの蔓延る球団になってはいけない」という感想を抱いていたはずだ。 川上も長嶋も王も原も松井も思っていたはずである。思わなければおかしい。 (松井はひょっとすると違うかも知れない。何故なら彼は現役時代、横浜の強豪期に立ち会ったという稀有な存在だからである) 要は、両極に見える球団もお互いを見つめ合う事によって「真のプロ球団はどうあるべきか」を学んでいたはずで、その結果野球界も発展していったのである。
そこで私も頭を振り絞って「ぽっちゃり」に対する造詣をさらに深めるべく、真逆する存在を考察してみた。 そこで浮かび上がったのがブルース・リーこと李小龍である。 次の画像を見比べて頂きたい。 如何でしょうか皆さん。 どちらも素晴らしい。 しかしながらぽっちゃりさんとブルース・リー。見事なまでに真逆だ。 (所で私は今この星印画像を間違えて無修正画像に上書き保存してしまった。非常に悔しい)
こうなるとブルース・リーについてこのブログで語らぬわけには行かない。 「いくらぽっちゃりブログで他の話題が難しいからって、その話題の持って行き方は強引にも程があるでしょう!」 と言われても構わない。語りたいものは語りたいのだ。何を隠そう、私はブルース・リー映画が好きだ。
まずはブルース・リーがその才能をはじめに爆発させた作品「ドラゴン危機一髪(原題:THE BIG BOSS 唐山大兄)」から紹介しよう。 邦題がまるで原題(前者は英語題名、後者は中国語題名)と違うのは、日本で初公開され大ヒットしたブルース・リー第四作作品「燃えよドラゴン」の後に公開されたので、「じゃブルース・リー映画だから題名はドラゴンで行くか」という安直な理由による。 また彼の作品はどれもそうなのだがこの作品のストーリー展開は邦題以上に安直だ。その辺でシンナーに勤しんでいる中学生を三人集めて四日ほどホテルにカンヅメにすれば完成する類のシロモノである。 その上この作品はストーリーテーリング、演武指導にリー本人がかかわっていない事で評判が低いのだが、個人的には武道しか持たない青年の切なさと悲しさが凝縮されていて凄く好きだ。 いいから観よう。話はそれからだ。
次は「ドラゴン怒りの鉄拳(原題:FIST OF FURY 精武門)」である。 凄い作品だ。何が凄いって登場する敵役の日本人が馬鹿過ぎる。それだけではなく残虐過ぎる。彼の映画の敵は実の所人種に関係なくどの作品もそうなのだが、「悪人にもいいところはある」なんて理屈は一切存在しない。悪人だといったら悪人である。 皆殺しなんかなんとも思っていない。 そして限りなく卑怯者である。 彼の作品は、大体最後は悪人もリーとタイマンで勝負するわけだが、タイマンしようとしてタイマンを張る悪人は殆どいない。卑策尽き、止む無くタイマンを張るだけの話である。 昨今中国の反日感情が問題とされているが、そもそも中国人は敵ならば誰でも食って掛かる人種である。 この作品をもって「ブルース・リーは反日だった」と言う評論家も多いが少し違う。 前作ではタイ人を、次作ではイタリア人をブルース・リーは徹底的にブチのめしている。 要は敵対者を作りたがる中国人のニーズに合わせて作った作品の一環と捉えて貰えれば宜しい。 それにしてもアクションシーンは見事である。 いいから観よう。話はそれからだ。
そして「ドラゴンへの道(原題:THE WAY OF THE DRAGON 猛龍過江)」だが、これも相手は超悪人だ。 最後にどうしようもなくなって拳銃を敵味方構わず乱射する姿も素敵だ。 これはネタバレになるが、彼の作品にしては珍しく複雑な要素がストーリーに絡んでいる。 (複雑と言ってもただの「裏○○行為」なのだが、彼の作品にしては非常に複雑と言えよう) またローマはコロッセオにおける無許可ロケも香港映画ならではの豪快なエピソードでいい。 しかしこの作品の凄さは何と言っても最後のチャック・ノリス戦だ。これをブルース・リーのベストバウトに挙げるファンは数知れない。当然私もそうだ。 いいから観よう。話はそれからだ。
そして控えうるは「燃えよドラゴン(原題:ENTER THE DRAGON 龍爭乕鬥)」である。 遺作にしてアメリカメジャーデビューを果たしたスーパーヒット映画がこれだ。全世界に「アチョー!」の掛け声を浸透させた大作である。 内容は例によってバカバカしいので覚えなくて宜しい。 だが所々に散りばめられたブルース・リーの思想が顕れたシーンや、素晴らし過ぎるアクションシーンの宝庫なので、画面から目を離す行為は許されない。 若き日のサモ・ハン・キンポー対ブルース・リー、大切なシーンで笑うエキストラ、本当に仲が悪くて敵味方に分かれて潰し合ったエキストラの乱闘シーン等、見逃せぬ瞬間ばかりだ。 いいから観よう。話はそれからだ。
そんでもってアクションシーンのみ遺されたフィルムと、複数の代役(簡潔に言うとソックリさん)を立てた陳腐極まりないストーリーで送られた最終作品が「死亡遊戯(英語題名:GAME OF DEATH)」だ。 本当に陳腐だ。突っ込み所だらけの怪作である。代役のタン・ロンが本当に頑張っているシーンもあるのだが、そんな頑張りが霞んでしまう程陳腐なオーラに包まれた作品としか言い様が無い。 しかしC級映画とは思えぬ位素晴らし過ぎるテーマソングと生前のリーのアクションシーンの調和は美し過ぎる。 いいから観よう。話はそれからだ。
で、ブルース・リーは若死にしたが故にこれしか主演作品が無いのだが、関連作品はたくさんある。 お勧めは「G.O.D. 死亡的遊戯」である。死亡遊戯本編で使用されていない大量のフィルムで繋ぎ合わされたクライマックスシーンは感動の一言だ。 それ以外のドキュメンタリー的映像は一秒も観る必要が無いが、この戦闘シーンは完璧過ぎる。 観なければ駄目だ。人生を損する事になる。
さてさてこれまでの紹介文で、ブルース・リーの素晴らしさが皆様にも少しは伝わった事と思う。 これで彼に今まで接した事の無い人が一人でも関心を持ってくれれば嬉しい。 えっ?ぽっちゃりさんとの関連性の考察はどうしたかって? そう言えば今回はそんなテーマでしたな。 まあ今回は字数も尽きてきたのでそれはまた今度。
それじゃ、
今日はぽっちゃり画像が少なかったのでおまけです
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