遷移する魂
人間は変わらないようでいて徐々に変わっていくものである。私は今14年ぶりに「ヘラクレスの栄光」をプレーしているわけだが、やはり昔のままの興奮とはいかない。 面白いことは面白いけども、やはり大人の目線でゲームをプレーするようになってしまった。そもそもゲーム自体約10年ぶりであり、昔のようにダボハゼの如く遊びまくる気分にもならないのである。 今の所の感想は、ヘラクレスの続編というよりファイナルファンタジー(FF)っぽい感じだというところだろうか。メインの作者がそっちの会社でしばらく仕事をしていたのだから当然かも知れないが(まあ、FFも10年前の「VII」以来やっていないから、最近のFFがどんな雰囲気のゲームなのか知らないけど)。 それでも十分楽しんで遊んでいる。 プレイしていて「面白い」と思えるうちはいい。私は今の所この新作にどっぷりとはまっている。まあ、時の流れと共に物事が変わり行くこと自体には何の問題もない。世の中そんなものだ。昔とはちょっと違う雰囲気の内容だが、楽しめるのならばそれでいいと思う。問題は全く感じ方まで変わってしまう場合である。ゲームに限った話ではない。ぽちゃさんだって同じだ。今日はそんな戯れ言もといお話をしよう。
例えば私は昔よく週刊ビッグコミックスピリッツを読んでいた。好きな雑誌だったのである。で、最近は漫画も余り読まなくなったのでご無沙汰しているのだが、コンビニに入ったりすると昔の感覚でふと手に取ったりすることもある。それでパラパラっと中身をめくるのだが......なんだか気色悪いのである。どの作品も、妙にドロドロしていて全く爽快感を感じず、読みたいという意志が芽生えない。 もっとはっきり言うと、全く読んでいて面白いと思えないのだ。 以前は青年雑誌の中でスピリッツが一番好きでヤンマガやヤンジャンはあまり好きではなかったのだが、今はスピリッツは読む気にもならないどころか嫌悪感すら感じるようになってしまった。 別にスピリッツという雑誌が変わったわけではない。スピリッツがつまらなくなった、のではなく、私という人間の感性が変わったのだろう。ここんとこスピリッツの悪口描いているわけじゃないので誤解しないでネ! 昔から小学館の漫画雑誌は講談社や集英社と違って割り切った漫画描写を控え登場人物の内面やストーリーを重視する、所謂「読ませる」作品が多かったのだが、昔は大好きだったその手の作品を全く読みたくなくなってしまっている自分に気が付いた次第である。いかにもマンガ的に軽薄なヤンジャンや、いろんな意味で強引なマンガ的展開の多いヤンマガの方が読んでいて楽しい自分がいる。漫画なんて面白ければいいじゃん、というのが最近の私の考え方だ。以前はもう少し理屈っぽくて、面白い上に考えさせてくれる作品なんかが好きだった。 昔は読者に物語性の強い作品が多いスピリッツが好きだったのだが、今ではそれが鬱陶しい。逆にその理屈っぽさが嫌なのだ。それに性描写や残虐な描写も読んでいて全く興奮せずむしろ嫌悪感を感じるようになってしまった(スピリッツに限った話ではないが青年誌はこの辺りくどい描写が多くてゲップが出るのです)。その辺私が大人になったという事かも知れないが、要は「昔面白いと感じたことを楽しめなくなってしまった」わけである。 感性の欠落。自分が老人になったのではないかと思うと恐ろしい。 二十歳を超えてからの自覚として、年々自分が無感動無趣味な人間になっていっているというものがある。 明らかに学生の頃より趣味が減り、興奮したり感動する機会が減った。これは怖い。そうやって爺さんになった時、私という人間には何が残されているのだろうかと考えてしまう。 二十年後、私はぽっちゃりした豊満女性やたわわに実った巨大乳を見ても全く何も感じない老人になってしまうのだろうか。 「そんなバカな」と言いたいところだがわからない。例えば私は小学生の頃横浜大洋ホエールズが負けると悔しくて悔しくて仕方がなかったものが今では横浜ベイスターズがどんなに情けない敗北を喫してもへっちゃらだ。全く悔しくない。まあ三十年近くも弱小っぷりを見ているとファンも負け犬の気分にも慣れてしまうものかも知れない。罪作りな球団である。 他にも「プロレスは八百長だ」と言われると茹で蛸のように頭に血を滾らせて抗弁していたものだが今では「そうですね」と簡単に返答するようになったし、もっと昔まで遡ると幼稚園児の頃はサンタクロースの存在を心の底から信じていたが今では信じていない。 私がぽっちゃり女性に無関心な人間になってしまう可能性はゼロではないのだ。 だがぽちゃさんを愛せない私に何の存在意義があるのかと問われれば非常に答えに窮するものがある。私からぽちゃさんへの愛を奪ったら後には何が残るのだろう。 食欲。これは間違いなく残りそうだ。金欲。これも残りそうな気がする。物欲。これも余裕で残りそうな気配が濃厚だ。うーん結構色々残りそうだな。しかし残ったのがその三欲だけではあまりにも無残な気もする。どうせ男として生まれてきたのだから、最後に残るのは愛であるべきだ。そうでなければ人の人生とはどうしようもなく無残で儚い。 でもかつて好きだったビッグコミックスピリッツを開いても全く心が震えない(むしろ萎える)ように、未来の保証は誰もしてくれないのが現実なのだ。 私は過去も現在も等しくナイスガイだが、将来はわからないという話である。例えば真面目に暮らしていたつもりなのにスクーターの自賠責の期限が切れたことに気付かず事故を起こせば保険は下りない。これまで支払っていてもこれから支払い忘れれば無意味なのだ。そんなわけで私もさっき近所のコンビニに行って自賠責保険に加入してきました!フー危なかったぜ、すっかり入っていると思い込んでいたのに期限が切れていたとは...やれやれである。これにて一件落着。このようについうっかりして未来が危険に晒されてしまうケースもあるという事だ。 人の未来は簡単に変わってしまう。それも良くない方向に。 幸いヘラクレスの栄光は昔と違っていてもまだプレイしていて「面白い」と感じていられる。ではぽちゃさんはどうだろう?大切な君に出会えたそれ以降も、私は変わらず想いを交わし合うことが出来るだろうか。約束出来るだろうか。誓いを守り抜くことは出来るだろうか。 代わり浮く人の世で変わらぬ愛が存在すればとても素敵だ。私は愛を信じたい。 信じる者は救われる。 信じ続ければ、あなたも愛しの大切な人と、幸せに生き続けることが出来るかも知れませんよ。 だからまずは、信じることから始めよう。そんな気がしてならない今宵の私なのである。変わらなくて良いものもあると思うのだ。
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