退屈な一日を有意義だと言い張ってみた
インターネット・エクスプローラ7(IE7)に飽きてきたので気分転換にIE8のβ版にバージョンアップしてみたけれど、何か使いにくかったのですぐさま元のIE7に戻してしまった今日の私。
まあアレだ、いつもの「無駄な一日を過ごしてしまいました」というやつである。毎回休日の度に同じ事を書いている気がするが人とは成長しない存在である。仕方ないものと感じ取って欲しい。ぽっちゃり女子中学生のように目に見えて乳が大きくなってきたり太腿がプリティになっていったりはしないのだ、中年ともなると。
それでも休日にならないと出来ない事もあって、国民年金相談センターに出掛けて現在までの支払い状況を確かめてきたりしてきたわけである。暇な一日だからといって何もやらなかったわけではないぞ!と強く主張したい。無職期間に払わなかった月が数ヶ月あるはずなので確かめたいと思ったわけだ。 待合室はジジババばっかりだった。 素晴らしく平均年齢が高い。しかもメチャクチャ混雑している。そして何だかよくわからないが職員に対して激高している老人(推定75歳。オス)が順番を譲らず喚き続けているので、一気に面倒臭くなった私はそのまま受付から踵を返し照会をやめたのだった。昔母が「五時間待ちだった事がある」と口にしていたのを思いだしたのだ。せっかくの休日の貴重な時間をあんな場所で過ごしたくないというのが本音である。 しかし自分の受給資格状況がどうなっているのは気になる。なので、携帯電話で国民年金の相談コールセンターに電話してみた。 「この電話は20秒に10円かかります......プーッ、只今大変混み合っております。3分以上お待ちになるか、お掛け直し下さい」 愛しのぽちゃさんとのデートなら一、二時間待つぐらいどうという事はないが年金相談センターである。正直全然待ちたい気分になれない。「あーもう面倒臭いなあ、どうしようかなあ」と思ったが何時間も絶叫する爺さんにお付き合いするのも嫌なのでもう一度電話してみた。 そしたら呆気なく繋がったのである。 しかも手帳番号を伝える事によって電話越しに調べて貰い、自分の国民年金及び厚生年金の状況がどうなっているのか確認する事が出来たのだ。 じゃわざわざ車飛ばして戸塚や東戸塚の社保庁まで出向く事ないじゃん。そう思うとやっぱり無駄な一日を過ごしてしまったのかなあと考えてしまうわけなのである。まあ、いいけど。 しかし人生に無駄はないのだ。 IE8からIE7に戻した事で、IE7のメリットや使いやすさを再認識出来たわけだし(というかIE8の方が色々と使い易いのだが何せβ版なので時々変な動作をするというだけの話なのだけれども)、社保庁まで直接行かなくても出来る事があると知ったわけである。無駄に見えた一日であっても、「何かを学んだ」という観点からすればやはり今日は無駄ではない、有意義だったと私は猛々しく宣言したい。ブルキナファソいや違った今後(コンゴ...スミマセン)同じ状況に陥った時どうすればいいかを肌で学んだわけである。 学習は知的生命体の本領発揮舞台である。 「乳首に触れると激しく感じるぽちゃさんもいれば、逆に全く感じないぽちゃさんもいる」 こうやって経験という名のデータベースに知識を蓄える事により、少年は大人になるのだ。 乳首が駄目なら耳たぶを責める、摘んで駄目なら撫でてみる。そうやって頭脳に印された色々な方策を実行してみるのである。 横浜ベイスターズの大矢監督続投事変のように経験したのに次に生かせないという事態は最悪だが(今年の采配で大矢に監督の技量がない事に気付かないとか、TBSは絶対おかしいのだ)、通常の人類はそんな事はない。それとも人類は知識を知恵として消化出来ない愚かな存在なのだろうか。 確かに日本の80年代を傍目で見ていたはずなのに同じようにバブル崩壊してしまったアメリカ経済のように、経験が全くの無駄になるパターンも歴史上は多々ある。 変わらない人間はとことん変わらない。ジミー鈴木なんかその典型だ。 しかしせっかく諸生物と比較して大きな脳を持って生きているのである。過去の経験を有効利用出来る、大いなる人類へと成長を遂げたいものだ。 大きい事はいい事だ。ぽちゃさんが身をもって証明してくれている。 経験を知識として蓄積し、活用してこそのホモサピエンスである。 「乳首が感じ難い子にはどう責めるか」 無駄はない。これまでの経験から、正しい回答を導き出したいものだ。
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