地デジと言われても実はよくわからないが適当に持論を述べてみよう
地上波デジタルへの移行が遅れているという話だが、地上波デジタルに移行しないと困る理由が消費者にない現状がある。地デジのメリットが国民に伝わらない現実。お上から押し付けられた要請にはいはいと従う日本ではもはやないという事だ。
日本テレビが37年ぶりに赤字に転落したという。テレビ東京も同様だ。膨れあがった放送ビジネスが曲がり角を迎え、テレビ、特に民放などなくても実は困る人が少ないという事実が浸透しつつある。同じ膨れあがった存在でもぽちゃさんはその点違う。既に斜陽産業であるテレビビジネスとは異なり、永遠の繁栄に繋げて欲しい。そうなれば草の根運動でぽちゃさんの素晴らしさを唱え続けてきた当ブログの存在意義もあろうかというものである。
それでも我が家はうちの母が「部屋のパソコンでテレビを見るんじゃ」と言い張り対応させた。個人的にはテレビ抜き、ワンセグのみで十分という気分なのだがやはり導入してみると画質がメチャクチャ綺麗だ。 ノジマ店頭のブルーレイとDVD見比べデモを見てもあまり差異を感じない鈍い私だが、これは凄いなあという感じである。女優の皺の一本一本がわかるレベルで、普通に生活している以上に鮮明だ。あまり目の良くない私としては、モニタを通しての方が世界がはっきり見えるというのが面白く感じる。 それと、まだあまり活用されていないようだが、字幕や副音声に関して多くの情報を盛り込めるのは大きい。ゴールデンタイムの洋画放送を「字幕ではないから」という理由で見ない人は多いと思うが、これだと吹き替えと併用して楽しめるし、耳の遠い視聴者に対してのフォローも優れている。アナログ放送では難しかった事が簡単に可能となる。それなりに地デジのメリットは大きいのだなと感じる次第である。 しかし問題はハードよりソフトである。*BSD系がどんなに素晴らしいOSだと吠え立てたところでFlashにもロクに対応していない現状では好き好んでデスクトップに採用する人はいない。個人的にはテレビのつまらなさにうんざりするのを通り越し、この20年程殆ど見なくなってしまった。つまらないとか面白いとか言う問題ではなく、見ないから何も感じないわけである。無関心というやつだ。いやまあヤッターマンは見てるけど。 しかし1996年から2004年ぐらいの期間は本当に一年で数時間しか見ないような生活を送っていたし、その時の影響が残り今でもヤッターマンを除くと臨時ニュースぐらいしか見なくなってしまった。つまりはコンテンツに魅力を感じないのである。 私だって入れ替わり立ち替わり豊満女体が裸でダンスする番組があったら絶対テレビを見る。私の部屋にも地デジのアンテナを伸ばしフルハイビジョン対応の地デジレコーダを購入するだろう。でもそんな番組はないわけだ。あるのはテレビのメイン視聴層である主婦を対象としたバラエティとドラマだけである。そしてテレビは「何も考えずに見られる」と言うその特性により、低俗に陥るパターンが非常に多い。 私も大して高貴な人間ではないから低俗なぽっちゃり風俗番組辺りなら喜んでチャンネルを合わせるが、低俗主婦目当ての番組じゃ見る気にならない。時間の無駄というやつだ。自慰行為にでも耽っていた方がましである。 ノキアの冬商戦用DoCoMo向け端末発表ぐらい無駄である。ていうか発表してすぐ撤退するなよ。まあ所詮は平成元年から日本に参入していたくせに何一つ日本携帯市場に痕跡を残せなかった企業だしなあ。いくら日本のケータイ電話事情がガラパゴスだからって、もう少し何とかならなかったのか?本当に世界最高峰クラスの電気通信機器メーカーなのか?と疑いたい気分である。 はてさて自分の趣味とも合わないテレビ番組を見るために、ニュースやスポーツ中継もネットで多くは代用されるこの時代、どうして我々がわざわざ地デジに対応してあげねばならないのか。 立ち読みした「紙のプロレス」で(今号はテレビ特集)、「ネットは所詮ネット。地上波テレビの10分の1の影響力もない。だからテレビを重視する」と誰かがインタビューに答えていた。わかる話だ。しかし所詮は送り手の事情であり都合である。 地デジもネットもそうだが現代は双方向通信サービスが通信の主要システムとなってくる。が、日本人は組織においての相互作用が非常に苦手である。今まで通りの作り手が一方的に発信したコンテンツを受け手が甘受するシステムでは大した変革は望めない。ましてや現時点でテレビが好きな視聴層とは作り手の望み通り「完全なる受動層」であり、自らわざわざ地デジに移行するという作業を進んで行う人種ではない。能動的な層はネットに移行しつつある。作り手、送り手の思うがままには行かない時代なのだ。 視聴率がどうであれ自分が好きだ、面白い、或いは見たいと思ったら私もテレビを見る。だからヤッターマンは見ている。しかし視聴率至上主義に押された現状では、自分の好きな番組が視聴率の取れない番組である場合無くなるだけである。コンビニでもセブンイレブンなんかは商品の入れ替えが激しく好きになった商品がすぐになくなってしまう。対してローソンやファミリーマートはなかなか無くならない。7&iべったりのアナリストはそれをセブンイレブンの強みであり高収益を維持する理由だと称えるが、何の事はない、自分の好きになった商品が無くなってしまった利用者は別のコンビニに移るだけである。目先の利益のためにパイを自分から小さくしているわけで、得をするのは鈴木会長とその取り巻きだけだ。 事業主の都合に合わせてあげる義務など私たちにはないのである。 そんなものはどうでもいいのだ。 藤原紀香が素敵だ、綺麗だ、かわいい、理想的だ、セクシー、美しいと万人が称えたところで私の心には全く響かない。 世間の風評なんか参考程度にはなれどその程度のものだ。中森明菜もそうだった。自分が興味ない存在に対して無理に世間に迎合する必要などありましぇんなのだ。 (それはそれとして高校時代の藤原紀香画像を見付けたけど、こちらはぽっちゃりしていてかわいい。惜しい女性を失ってしまったものである。左画像参照) ぽちゃさん絶対主義。私には絶対の主義主張がある。 そんなわけでこれからも付いてきてくれる有り難い人がおられたらお付き合い宜しくお願い申し上げる気分である。私の世界はぽちゃさんで回っている。地デジもいいが古ぼけた森川まり子のVHSに愛着を覚える同士も多かろう(実は私は持ってないけど)。 我が家は地デジを導入したけれど、所詮現状では他人に都合の良いシステムに過ぎない。 自らのコンテンツを構築するのだ。 それがなければ、「自分自身」である意味はないと思うのですよ、君は!(富野監督風に)
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