生命の奇跡
この恥丘もとい地球上にどうやって生命が誕生したかは謎である。しかし仮説はある程度絞り込まれてきていて、生命を構成する有機物が宇宙空間から飛来してきた隕石の衝突などから形成されたのではないかという説が有力とされている。 まあ私は専門家でも何でもないので「本当にそうなのですか」と質問されても「知りません。ていうかそんな事俺が知るわけないだろう、バカチンが」なんて具合に逆ギレしてしまう程度の知識しか持ち合わせていないわけなのだが、まあどうやらそうらしい。 そんな中「<生命>隕石の衝突が起源 物材研と東北大、実験に成功」というニュースを見付けた。隕石に多く含まれている成分と原始地球に多くあった窒素と水を激突させたところ、生命の元となるアミノ酸、カルボン酸、アミンが生み出されたのだという。生命そのものを作り出せたわけではないが、生命の「入れ物」を作成するメカニズムが実証された。 これは愛らしいぽちゃさんを作り出すメカニズムを完成させるまでの偉業と言える。程よく寝かせ、高めのカロリーを与え、出来るだけ体力を使わない環境に放り込めばいいのだ。こうするとぽちゃさんの「肉体」が完成する。この場合ぽちゃさんは自動的に愛らしい心の持ち主になるので後は放っておけば良いのである。しかしながら生命の方はそう簡単にはいかない。アミノ酸を作れたから生命を作れるのかというとまた別問題だからである。しかし地球上に有機物が生み出された理由は突き止められたわけで、考古学や生物学上における大きな前進と言えるだろう。
えっ?ぽちゃさんでも嫌な性格の人はたくさんいるって? そんな事はない。いやまあ、確かにいる事はいる。しかしである。ぽちゃさんなのに性格に問題がある人間は、痩せていたらもっとギスギスして大変な性格であるに違いない。例えば22登板5勝12敗0セーブ防御率6.47の那須野巧投手と11登板0勝2敗防御率7.94の高崎健太郎投手(いずれも横浜ベイスターズ、自由枠)はどちらも使えないピッチャーであった事に間違いはないが、どちらかというと那須野の方がまともな選手だったと言えるわけである。少なくとも2008年度においては。つまり同じ「成績が悪い」にもレベルの差が存在するように、性格の悪さにも程度の差異がある。骨張った女性より丸々とした女の子の方が生物学的にも上位に位置するのではなかろうか。 と言っても残念ながら証拠はない。生命の起源と同じく謎である。こういった推論を真実であると証明する事が我々ぽっちゃり愛好家の今後の課題と言えるだろう。 なお、男は痩せていようが太っていようが問題児は問題児である事がジミー鈴木の過去と現在により証明されているので当てはまらない。あくまでもぽっちゃりしていて素晴らしいのは女性に限定される。そこは間違えないようにしていきたい。 さてこの地球上に生命が生じた奇跡と同じように、人類史にぽちゃさんが現れたのも一種の奇跡であり喜びであると私は考える。自然上でぽちゃさんが育成される可能性は非常に低い。例えば日本の家犬や家猫はどいつもこいつも丸々太っている奴らが多数を占めているが、野生ではあまり丸い野良犬或いは野良猫は存在しない。まあ都市部なんかだと残飯漁りのプロと化した巨大猫などもいる事はいるが、通常野生生物はギラギラ飢えて痩せ細っているものだ。 ぽちゃさんも同様で、この人類の歴史でぽちゃさんが普遍化してきたのはつい最近の事である。かつては一部の富豪の家庭ぐらいにしかぽちゃさんはいなかった。それが一部の国々だと生活が段々豊かになり一般の家庭でも普通にぽちゃさんが存在する時代になってきたのである。 ぽちゃさんは豊かな生活と平穏な社会でないとなかなか生み出されない。つまりは幸せのシンボルなのだ。シンボルと言っても男の股間に生えているキノコみたいなアレではない。幸福を示す象徴である。 この地球上で生命が誕生した奇跡。 ぽちゃさんも同じである。私たちはもっと深く、強く、巡り会えた僥倖に感謝しなければならない。 幸福の時間は私たちの手によって守り続けて行こうではないか。 まずはぽちゃさんを愛する心を持つ事。 慈しむ精神を有する事によって巡り会いの奇跡に意味が与えられる。生命という奇跡の中の更に限られた奇跡がぽちゃさんであるならば、愛する心には意義があるはずだ。 高い精神性を持ってザンジバルいや違った今後(コンゴ)も愛を語らっていきたい。そう思うわけなのであるよ、私は。
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