運鈍根、うんどんこん、或いはうどんこ
東北楽天ゴールデンイーグルスの野村克也監督が南海ホークス時代の昭和40年(1965年)に出版した「うん・どん・こん」という文庫本が我が家にあった。漢字で書くと運鈍根、昔から成功の秘訣として伝えられてきた言葉である。ぽっちゃり女性を手中に収めるためにも必要な要素であるかも知れない。考えてみた。
まずは「運」。その言葉の通り「成功には運が必要だ」という意味である。のっけからいきなり「運頼みかよ」とも思う。が、まあ確かに運が大事なのは事実だ。素敵なぽちゃさんをGETするためには何よりもまず第一に素敵なぽちゃさんとまず出会う、すれ違うという幸運を手にしなければならない。当たり前だろ、という気もするが、とにかく運がないと成功はおぼつかないわけなのだ。ちなみに辞書を引いて調べてみたら覚束無いと書いておぼつかないと読むらしい。また一つ利口になった次第である。
「必要是発明之母、偶然是成功之父」と言う。確かに運がなければ成功は起こりえない。例えば火薬は人類の歴史に良くも悪くも大きな影響を与えた大発明だが、秦の始皇帝時代の錬金術師だか仙人だかが不死の薬品を作ろうとしていたらその過程で偶然生み出された産物だという。勿論火薬など調合していたら不死どころか生命の危機に直結してしまうわけだがまあ仕方がない。昔の人の貴い犠牲があって我々の現代社会が形成されているのである。ちなみに不老不死に憧れた始皇帝はありとあらゆる薬剤を試し、その中には猛毒の水銀も含まれていたという。元素記号Hg、猛毒である。そんな危ないものを飲み続けていれば無事で済むわけもなく、始皇帝は呆気なく死んでしまったそうだ。まあ、金属だもんな... そんなわけで始皇帝は運が悪かったが成功には何某(なにがし)かの「運」が必要なのである、と言う話だ。 運が良ければぽちゃさんにも巡り会える、だから諦めず出会いを待て。そう思って日々を過ごさねばならないわけである。 続いて「鈍」。人は鈍いぐらいでなければいけないという戒めだ。確かにあまり神経質に他者の顔色を伺ってばかりいても仕方がない。 そしてここでは鈍感を奨励している。愚鈍ではない。鈍である。 要するにお利口さんになってはいけない、頭だけで考える愚者になってはいけないという事だろう。それと他人の評価や噂に左右される弱い人間では駄目だと言う意味がありそうだ。周りの人間が何と言おうがぽちゃさんを愛する心こそが真実なのである。人類は馬鹿だから細い女体を好む風潮は一部に根強い。しかし周りがそう言うからという理由で自分の趣味指向を代えるなど愚の骨頂だ。馬鹿馬鹿しい。 最後に「根」。ズバリ根性の根である。 柔らかかつふくよかな肉体を求める過程において、どうしても理想の体格の女性に巡り会えず挫折してしまう小市民も多かろう。確かにパリコレに出てくる骸骨のような筋女も女性には違いないし、今やドーピング疑惑でしか名前が思い出される事もないオリンピックメダリスト、ヤルミラ・クラトフビロワのような筋肉女もいる。フローレンス・ジョイナーなんか薬の盛り過ぎで髭まで生えていた。しかし女性には違いない。別に君がぽっちゃり女性との邂逅を諦めてクラトフビロワやジョイナーとお付き合いをはじめようが勝手だし、それで幸せならば言う事はない。しかしそれでも敢えて理想のぽっちゃりレディに巡り会うまで根性決めて戦う男の美しさを否定する事は出来まい。それが「根」だ。 結局は運だけではぽちゃさんは掴み取れず、変わらぬ強い意志と強烈な根性を持つ勇者のみが豊満なる女体に辿り着けるわけである。人生はそう甘いものではないという事だ。 ローマは一日にて成らず。 肉の喜びも同様である。 豊満女性を愛するという行為一つとっても人生は簡単ではない。しかしガッカリしている暇はないのだ。限りある人生なのだから。 どこかに君の為のぽちゃさんが佇んでいるはずなのだ。愛を信じよ、望めよ。 その果てに喜びが待っているのなら、立ち向かう人生も素晴らしいものだ。 運鈍根の精神である。昔の人は立派な事を言うものだ。皆様方も、腐らず焦らず闘い続けて頂きたく思う次第である。
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