ノー携帯デーとか無理、勘弁
新聞の読者投稿欄を眺めていたら「ノー携帯デーはいかが?」と言うタイトルがあった。十年ぐらい前の老人がよく「俺は携帯は持たない主義だ」なんて意味もなく力強く吠えていたが最近は絶滅寸前である。まだこんなオヤジがいるんだなあと思ったら40歳の大学教員だった。同世代である。この人は携帯を持っていないのだそうだ。
まず第一に思う事は、浮世離れしても続けられる職業っていいなあと言う事である。私の家系も教職員家系なのでよくわかるが、学校の教師というものは所謂一般的な常識というものが無くとも何とかなってしまう傾向が伺える。今日日(きょうび)携帯も持たずに日本人が務まるかよ!と言いたいところだ。まあ現実には結構携帯を所持していない中年も社会にはそれなりに存在するが、もはやそんな人類はスタンダードな存在とは言えない。マイノリティなのだ。悪い意味で。
新聞に「たまには携帯を持たずに生きてみてはどうだい」なんてお気楽に投稿出来てしまう自分自身に疑問を抱くぐらいでなくてはならない。しかし本人は「携帯を持っていない自分」に不便を感じていないから持っていないのだろう(勿論ただ「俺は携帯なんか人生に必要ないから持たないんだもんね、ヘヘン!」と訳のわからない意地を張っているだけだという可能性もある)。 これは生まれてから一度もぽっちゃりした女性を見た事のない男の子のようなものである。そんな子が実際にどれぐらいいるかどうかは別として。 豊満の良さを知らずに大人になる少年がいるとすればそれは悲劇だ。 きちんと子供の時代より学習し、女体を見定める眼力を眼に付ければ女子プロレスを語っていてもミミ萩原より高橋奈苗、高橋奈苗よりアメージング・コングとより正しい肉体を持つ女体に心奪われようと言うものである。 ちゃんとぽっちゃりした女性を観察し続けていれば容易い選択だ。 ノー携帯で何かが見付かる人生も悪くはないが、今時携帯も持っていない人間の言葉に耳を傾けていられる程ゆとりのある日本人類ではない。 簡単に言うと、私には携帯を手にしない一日は考えられないと言う事だ。 常に携帯を握りしめている貧乏人の私と、携帯を所持していない大学教員。どちらが素敵なぽちゃさんをGETするか、勝負を付けてみようではないか。なあ! 私のプライドに賭けても、負けやしない。
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