先月のブログ開設四年七ヶ月を今更ながらお祝いする
さて先月9月18日、当ブログはめでたく開設四年七ヶ月を達成した。何故毎月毎月お祝いブログ記事を書き続けていたのに今回に限って十月に突入した今更そんな事を書いているかというと先月書き忘れたからである。人は忘却の生物だ。「忘れてしまっていたものは仕方がない」と開き直らせて頂きたい。
しかし「忘却」も口で言う程簡単ではない。公明党も民主党からラブコールを受けて揺れている。民主党と連立政権を組み、あれ程までに強烈に民主党を批判し続けて党内にもアンチ民主がワンサカ残っているこの状態で全て忘れて「民主党と一緒にやっていきます」なんて前言撤回出来るのか。山口代表にはその意味でチョッピリ期待している。多分、色んな意味でとてつもない事になるだろう。
よく外国人のスポーツ選手が口にする言葉として辛い思い出や悪い出来事は「忘れた」というものがある(東海村JOC臨海事故で助かったけど逮捕されたおっさんも言っていましたな)。日本人的な発想では「忘れるなよ、反省して噛み締めて次に繋げろよ」という気がするのだがそんな事をわざわざするより忘れてしまった方が楽だし切り替えも早いし色々と都合が良いのだろう。ジミー鈴木のように都合の悪い発言をその瞬間毎に忘れてしまう人間もいる。まあ、あそこまで行くと単なる馬鹿なので参考にならないのだが。 私も弱い人間である。過去を忘れる事は良くある。例えば彼女の家に行った時お手洗いを借りた後椅子を借りたらお尻の噴き方が甘かったようで椅子に便が付いてしまったりしていたらどうすればよいだろう。
1.なかった事にする 2.なかった事にするも何も本当に忘れてしまう 3.しかし忘れようがないのでいつまでもクヨクヨ嘆く 4.開き直って笑いに転嫁する 5.バカのフリをして誤魔化す
個人的には2が一番良いのだが、やはり忘れたいから忘れられるというわけでもなく、仕方がないので3か4でお茶を濁す事となるわけだ。人生とは何が起こるかわからない。君も他人事だと思っていると我が身に降りかかる事となるかも知れない。気をつけろとアドバイスさせて頂こう。 何はともあれ先月は、毎月恒例の開設記念ブログ記事作成を忘れてしまった私である。反省したい。 人は忘却する生物だ。私も将来惚けてぽちゃさんに付いて考える喜びを忘れてしまう日が来てしまうのだろうか。そんなはずはないだろうが、歩いていたら頭に隕石が落ちてきて全ての記憶が吹っ飛んでしまうかも知れない。未来の事は誰にもわからない。 しかし全ての記憶を失った私はそれでもなおすれ違うぽちゃさんに関心を示しハァハァする記憶喪失患者となるのではなかろうか。何だかそんな感じがする。なぜならばぽちゃさんが好きだという私の想いは理屈ではなく護国寺、もとい、本能だからだ。ここでは「頭に隕石が落ちてきたら死ぬだろ」というような至極当然なツッコミは華麗にスルーさせて頂く事とする。 全てを忘れてもぽちゃさんの豊かな女体に興奮する男でありたい。 私の望みはそれだけだ。記憶を失ってモアイは忘れない。これは「記憶を失っても愛は忘れない」と書きたかったのだがATOKがそう変換したのでそのままにしておいた。文句があったらジャストシステム社に言って欲しい。 四年七ヶ月の時を越え、これからも愛を語り続けていきたい。 乞うご期待である。損はさせない。得もしないけど。
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