千葉ロッテマリーンズ・的場直樹
千葉ロッテマリーンズの的場直樹捕手が存在感を見せている。クライマックスシリーズでも古巣福岡ソフトバンク相手にきらりと光るリードを見せ、正捕手里崎に勝とも劣らぬ存在感を見せ付けた。
大学時点でアマチュアナンバーワン捕手と呼ばれ、ドラフトでも非常に期待され指名された。性格が良く、実家がお寺で小学生時代に得度、僧籍を持つ野球選手であるなど、話題性にも富んでいた(宗教上の理由でPL学園高校進学を諦めたそうだ)。それでも東京六大学における通算打率は二割五分にも満たぬ数字で如何にプロの打撃を身に付けるかが課題とされた。また、当時の福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)にはリーグ屈指の正捕手、城島健司がいる。アマチュア時代の高い評価とは裏腹に苦難のプロ生活が予想された。
果たして一年目こそホームランを二本打つなど控え捕手としてそれなりの数字を残すものの、二年目以降は殆ど試合に出られない状況が続いた。ぽちゃさんが大好きなのに全く女体に縁のない男の生活の苦しさとよく似ている。その意味で私には的場の辛さがよくわかる。的場に出番が訪れなかったのは城島がほぼ全ての試合でマスクを被り、途中交代すらあまりない活躍を続けていたからと言われているが、それ以前に一軍登録自体ろくすっぽない状況だった。課題はズバリ、打撃力が全く成長しなかったからである。 的場を救ったのはパを代表するエースにまで成長した斉藤和巳である。斉藤は高校時代から的場と仲が良く、不遇の二軍時代も共に過ごした。城島が怪我などで試合に出られない時、松坂大輔をも凌ぐエースとして斉藤は的場を指名した。さすがに日本を代表するキャッチャーである城島に「的場と組みたいので城島さんはすっ込んでいてくれませんか?」とは言えなかったようだが、大エース斉藤に全幅の信頼を受ける的場は一目置かれる存在となっていった。そして2005年、城島のメジャー挑戦が明らかになった。2005年プレーオフ、リーグを一位通過しながら千葉ロッテに敗れたソフトバンクのベンチ、負傷して試合に出られなかった城島が、松葉杖をついて泣き崩れる的場に寄り添っていくシーンがテレビで放送された。この悔しさを忘れるなと伝えたとされる。 「的場、ホークスの次の正捕手はお前だ。任せたぞ」誰もがテレビ画面越しに、そんな城島の言葉を聞いた気がした。 そうして2006年、正捕手、的場の新しい人生が始まった、はずだった。しかし野球の神様は厳しかった。 「的場よ、お前は全然バッティングが成長していないではないか。それで強豪ソフトバンクの正捕手を務めるとか、甘い、チョコレートより甘いよゲイナー」 何せこのシーズンの打率は一割四分六厘である。二倍ヒットを打っても二割九分二厘。三割に満たない。ぽっちゃり出会い系サイトで百人にメールを送って十五人から返答が帰ってきたら大成功だが、野球の打撃でその確率は低すぎる。結局終盤は斉藤専属捕手の形となり、この年最多勝を奪った斉藤と通年組んでいたお陰で最優秀バッテリー賞パシフィックリーグ部門を受賞してしまう。めでたいがどうにも虎の威を借る狐状態になってしまっていた。ところがその斉藤も翌年肩の故障で登板が激減。その後手術して全く投球を再開出来ない状態となってしまい、的場の出番もゴゴゴと音を立てて減っていってしまう。その後は二軍でも余り出番が無くなり、2009年シーズンオフに戦力外通告を受け自由契約となってしまった。 去年の話である。 それが翌年の今年、トライアウトを経てテスト入団した千葉ロッテで怪我がちの里崎の控え、二番手のポジションを掴み、重要な場面でマスクを被り続け、クライマックスシリーズでソフトバンク打線をきりきり舞いさせる活躍を見せるのだから面白いものだ。 的場はキャッチング、リードは元々十分プロレベルだった。千葉ロッテでもシーズン打率は一割六分に満たない。結局、プロ入り以降一度も二割の壁を越えた事がない。恐らく橋本がFAで横浜ベイスターズに移籍しなければテスト採用もなかったはずだ。しかし堅実で確かな技術は的場自身の糧であり武器となった。私にもぽちゃさんを想い、幸せになりたいという確かな意志がある。間違いのないものを持っている男は必ず救われるはずだ。 諦めないやつは格好いい。私もそんなナイスガイになりたい。
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