九百万ドルでいいのだ
金がないのである。これは由々しき事態と言える。ぽちゃさんとの愛を如何に美しく語ろうとも、「それはそうとお金がありません」と結んでしまえば心からの言葉も台無しになってしまう。
「いったん仕事に着手したら、目標とするすべてが得られるまで手を離すな。それはそうとお金が欲しい」これはシェイクスピアの名言だが、最後に一行付け足すと全てが台無しだ。 「誰よりも自分が自分自身に期待しています。自信がなければこの場にはいません。プレッシャーがかかる選手であることが誇りです。それはそうともっともっと年俸が欲しいですね」これはシアトル・マリナーズに入団した時のイチローの台詞だが(注:ちょっと嘘入ってます)、確かに当時のイチローは三年十八億円の契約だった。それでも十分な金額な気もするが、オリックス時代から多額の給料を得、十年後の現在、五年九千万ドルの大型契約を後に果たす事となる大金持ちのイチローとしては、十八億ぽっちじゃとても足りなかったと言う事なのだろう。もっとお金が欲しい。これはシェイクスピアもイチローも同じ想いであった事に違いあるまい。
私はもう少し謙虚な人間なので九千万ドルとかの、わからない大金は要らない。十分の一。九百万ドルぐらいでいい。円高とはいえ日本円にしても七億二千万円ぐらいになるが、それだけあれば十分ではないか。税金で半分持って行かれるとしても三億六千万円である。 勿論「田園調布に12LDKぐらいの大邸宅を建てたい」「プライベートジェットを買いたい。やっぱりガルフストリームがいい」「セレクトセールで社台の良血馬を毎年十頭は競り落として調教師やマスコミにチヤホヤされたい」等というなら三億六千万円では足りない。しかし贅沢を言うなである。 人間は本当に求めている者を手に入れる事が出来ればお金なんか無くても良いのだ。立派に生きていけるのだ。私も当然愛しのぽちゃさんと供にいられるのならば心から満足して生きていける人間である。 森本喜博みたいに銀行強盗で五億円を強奪しながら何故か時効後に一文無しになっていて再び別の強盗事件を行ったものの呆気なく御用になってしまった男もいる。糖尿病を患っていた森本は、潜伏・逃亡しながらでは病院にもロクに行けなかっただろう。 それでもやはり、お金はあるに越した事はない。それは間違いない。 「人間よりは金のほうがはるかに頼りになりますよ。頼りにならんのは人の心です」 これは尾崎紅葉の一文だが、真実であると同時に、「頼りになる人の心があるならばお金よりもそれは大事な事だ」との意味を込めさせてもいる。つまりお金を欲していても、それよりも大切な愛の心を持つ人間であるならば問題はないと言う事だ。 ややこしい書き方になってしまったが私はお金が欲しい。つまるところそう言う事だ。金が欲しくて仕方がない私ではあるが、ぽちゃさんを愛する心を持つナイスガイである事に間違いはないのだから他人に「見苦しい」だの「みっともない」だの言われる筋合いはないのだと力強く宣言したい。 ああ、お金が欲しい。英語で書くと"Oh, I want money very."。中国語で書くと「我想要钱(銭)」。 九百万ドルでいいのだ。 限りない贅沢は言わない。
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