先日のブログ開設四年八ヶ月をややいい加減にお祝いする
さて先週10月18日、当ブログは開設四年八ヶ月を達成した。千里の道も一歩から。大アンドロメダへの道も火星からである。「何故六日も前のお祝いを今頃やっているのか」等という戯れ言は聞かない。
しかし人生は難しい。慶大医学部に進んだ小林亜星は何故か作曲家兼個性派俳優という特異なポジションに収まり、朝起きたオルテガさんの子は何時の間にやら勇者ロトとして歴史に名を残す事となった。つまり一寸先は闇、週刊ゴングを飛び出たら一切仕事が入って来なかったジミー鈴木状態なのである。
だが時として運命の神は君のために大切な人との出会いを用意する。 人は皆長い道程が新たなる出会いのために繋がっているなんて考えもせずに生きているがそれは違う。 巡り逢いはそう奇跡なの(By 森口博子) 予測出来ぬからこそ奇跡なのだがチャンスの女神に後ろ髪はないと言う。奇跡が訪れた時掴んで離さぬ嗅覚なり気概は必要だ。私が街を歩いているのを見かけた瞬間君は愛の告白の準備をしなければならない。フッ、私も罪な男だ。精々成就を祈るが良い。 ここで唐突だが寒い。 いつものようにスクーターで帰社していたら雨脚が強まり本屋さんで立ち読みして時間を潰していたのだが、全く降り止む気配がないので諦めて大雨の中びしょ濡れになりながら帰ってきた私なのだった。 今回のブログの文章は昼休み食事を採りながら携帯片手にピコピコ打ち続けてきたもので、その続きを家に帰ってから書くといういつものパターンでエディタを立ち上げ執筆しているわけだが、余りに寒くてもはやどうでもいい気分。熱いシャワーを浴びて湯船に浸かり、ようやっと気分が落ち着いてきた次第だが、一度弛んだモチベーションはなかなか盛り返さないのが困った現実である。 ブログ開設四年八ヶ月を達成した喜びより熱い風呂に入った満足感の方が強いと言う話だ。 風呂はいい。風呂は最高だ。前回は日本人として生まれお米を食べる喜びを書き連ねたが、所謂お風呂に入る喜びも日本人特有のものである。と言うか日本特有のお風呂文化は海外にはない。何故か突然水が出なくなるシャワー、決められた量しか出ないお湯、夢のまた夢の追い出し機能。何より湯船にゆったり方まで浸かってくつろぐ文化がないというのが理解出来ない(アメリカだとそう言う行為を行うのは裕福層ぐらいである)。私は海外旅行が大変好きな人間だが、外国のホテルの風呂で満足出来た経験が殆どない。ビジネスホテルやワンルームマンションによくあるユニットバスにすら全く及ばぬチャチな白い湯船がゴロンと転がっているケースばかりである。ただし中国は广州の天河北路にあった何とかというホテル(名前忘れた)とマカオにあった澳門(澳门)東亞酒店(イースト・アジア・ホテル)だけはなかなか素敵な湯船だった。中国旅行した時は何もかもが滅茶苦茶な国だなと思ったが、これらのホテルの水回りだけは素晴らしかった思い出がある。特に東亞酒店はつい十数年前までは大陸から来た売春婦が夜な夜なノックして訪問してくると言ういかにも旧世紀の場末ホテルとして有名だったのだが、この十年は極めて健全な通常のホテルへと変貌しており、尚かつ値段がリーズナブルで外見がボロいくせに結構清潔に保たれつつありホテルマンの雰囲気も良く、リスボアまで歩いて十分かからないぐらいの好立地とお勧めの旅館である。海外に貧乏旅行に出掛けるとまともな風呂にありつけずイライラする事請け合いなので、そう言うのが嫌な人には是非ともお勧めしたい。 そんなわけで全然開設四年八が月をお祝いしていないブログ記事になってしまったが気にしない。 束縛は真っ平。自由に羽ばたくブログ管理人でありたい。 肉色豊かな女体を求めつつ思うがままに飛んでいきたい。 そんなブログを、私は書きたい。強引にまとめてみました、マル。
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