先日のブログ開設四年九ヶ月を情強的にお祝いする
さて本日11月18日、当ブログは開設四年九ヶ月を達成した。さすがの猿飛である(読んだ事ないけど)。今後も情報文化の波に乗り、麗しいぽっちゃりライフを構築して行く事に全力を尽くしたく思う。
情報を制する者はぽっちゃりも制す。しかしながらネットの張り巡らされた情報社会は厳しい。昭和の愚民ならばテレビを見て新聞と朝日ジャーナルを読んで適当にわかったような気になれば一般的日本人として躍動出来たが、現代は情報を咀嚼して手前の脳取捨選択せねばならぬ時代となった。
もっとも「そんなもん昔からそうだろ」と言われればその通りな気もするのだが、文章を書くときは少々間違っていても断定調で「昔はこうだった」「今はこうだ」とした方が話が進めやすい。石原慎太郎都知事的なやり方であると言えば納得して下さる方もおられよう。ちなみに、左の脱帽状態なのに何故か着帽時の挙手敬礼ポーズを撮っている右翼じみたおっさんが石原知事である(これだけでも実は何も知らない男である事がわかる画像と言える)。そんなわけで、そうか、現代はそういう時代なのだなあ、昔とは違うのかあ!と、純粋な心でもって話を合わせて頂ければ幸いだ。ララァも喜ぶ。 しかし実際情報の取捨選択は駆逐艦、もとい、重要だ。ちなみに今のは重要と巡洋艦をかけた渾身のギャグである。心して笑って頂きたい。で、話を戻すと重要だ。現実問題誰でも簡単に情報を発信し、共有出来る社会が到来したのだから、受け身でほうほうそうなのか、成る程へえーと馬鹿面晒して権力者の思うがままの報道を受け入れ続ける義理はない。それが爆乳ぽちゃさんの無修正ビデオだとでもいうのなら仕方がないが。 ただマスコミというのは今も昔も発信者に都合の良い偏向した情報を発信する媒体であり、その意味では冷戦時のプラウダや戦前の大本営発表提灯誌だった朝日読売といった新聞社も、現代のテレビ局やラジオ局を含めた雑誌新聞社も本質的には同じものである事に変わりはないわけだが、じゃあインターネットはどうなのかと言うと、実はこれも送り手の意志により変更するという意味においては旧来の媒体と全く同じだ。 ただこれまでと違い、ライターと読者の間にある層がすっぽり抜けて検閲システムが殆ど存在しないため、権力者や実力者、所謂大きな意味での「送り手」の意に沿わないあらゆる情報であっても、無慈悲に、瞬時に全世界へ拡散されてしまう。従って中国のネット社会を見てもわかるように権力者がコントロール出来ないわけではないが、コントロールが非常に難しい媒体であると言える(ついでに書き手もコントロールが難しい。ジミー鈴木のブログや「拳論」、敢えて名を伏すが某ぽっちゃり動画像BBS管理人などのように、一度発信してしまうと、後で都合が悪い文章を削除しても無駄であるケースが非常に多い)。 北朝鮮のように完全に統制下に置かれているケースもあるが、その代わり北朝鮮当局の行為はWWW(ワールドワイドウェブ)の持つ特性そのものも規制しているためインターネットがインターネットである存在理由が殆ど存在しない。インターネットを有効利用するにはある程度利用者にも自由と権限を与えないと意味がない。これがネットを完全統制しようとしている側(中国当局など)から見た場合の足枷である。ちなみに私は一度手枷足枷を装着したぽちゃさんと配合してみたく思っている。きっととても興奮するだろう。御協力求む。 ここで話を戻すと、やはり「情報を咀嚼して取捨選択せねばならない」と言う、最初に書いたテーマが改めて重要となる。自由なアクセスが売り物のシステムなので、自由に嘘やデタラメ、思い込みが撒き散らかっている世界だから。 たとえば私はこのブログの更新に支障が出ている程Twitterにハマっているわけだが、もうそこらかしこにガセネタ、デマが転がっている。掲示板やブログと違って「ブロック」のシステムが優秀で、気に食わない情報や他者を排他する事も比較的簡単なので、自分に都合の良い情報だけを集めてしまって事実から遠ざかってしまうこともままある。私自信ネトウヨと呼ばれる人種なのでよくわかるが「口蹄疫報道規制」「海保長谷岡氏殉職」と言ったあからさまなデマに振り回されリツイートに明け暮れる人々の何と滑稽な事か。 しかし笑い事ではない。民主党の三宅雪子や谷岡郁子が「やっちまった」ように、私も過去幾度となくネット上で危機的状況に陥った経験がある。このブログでもあったし、十年ぐらい前に私が管理人をしていたBBSでもそんな事があった。 あの時は管理人たる私自身が自作自演している事がバレそうになって大変だったものだ。懐かしい思い出である。 ネットリテラシーなる言葉がある。ネット上における常識の事だが、これには「他者の言葉を都合良く鵜呑みにせず、真偽を自分自身で判断しなければならない」と言う部分も大きいと思われる。しかしこれが難しい。 例えば私は先月大きく拡散された「中国国内で起きた反日デモは即時日本のマスコミで大きく報道されるのに、国内で起こる反中共デモは全く報道されない(海外では報道された)。これは国内の各マスコミが圧力を受けて自主規制したからだ」と言うネトウヨ向けの扇動文章を否定出来ないでいる。これがデマなのかそうでないのか、全くわからない。少し調べればすぐわかる谷岡氏デマみたいな幼稚な文章なら一笑に付すことも簡単だが、よく作り込まれたデマは見抜くのが難しい。人間は自分の信じたい内容を真実だと思いたがる生物なので、私も「これはデマではないんじゃないか」と思ってはいるが、確証があるわけではない。ここで簡単に「そうに違いない」との思い込みで文章にしてしまい、それがやはり違った場合、私もまたデマの拡散者になってしまうわけだ。まあ我慢出来ずにしょっちゅうしちゃっているけど。しかしやはり本当は確証が得られるまで堪えていた方が良いに決まっている。 如何に正しい情報を文章に乗せ、多くの民にぽちゃさんを愛する意義を教授するか。深く考えていかねばならない。 このブログが始まってから長い期間が過ぎた。ブログブームはとうに過ぎ、私のブログへのアクセスもだいぶ減った(これは私のブログがつまらないからではなくブログブームが去ったからであると強く主張させて頂く。多分)。mixiやTwitter、Facebookと言った新しいツールの時代が訪れ、さらに新しい時代を積み上げようとしている。 ぽちゃさんと言う私たちの真実のために、流れに乗り遅れることなくアンテナを張り巡らせ、正しい情報を皆様と共有していかねばならない。 新時代到来す。 真実を司る、愛の戦士として君臨したい。
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