新時代を生きる
「映画に出てくれ?私はプロの俳優だよ。観客もいないカメラの前なんぞで演技などできるか。そんなものは演技などではない。演劇舐めんなコノヤロウ」
真夏の炎天下、街路の端っこに立ってブツブツ呟いている変な人ではない。百年前ほどの前の職業俳優の台詞である。彼の頭の中の演劇とは舞台演劇に他ならず、それ以外の演劇は全く受け入れられぬ概念だったのだろう。またきっとこう言う人は、例え映画に出たとしても、舞台俳優的な大げさな演技しか出来ず、オーバーな大根役者として観客に笑われてしまう姿しかフィルムに残せなかったに違いない。映像は残酷だ。その意味では彼らは映画に出演せず舞台に殉じた選択は間違っていなかったと言えるだろう。
と言っても、今となっては「映画という新しいジャンルに対応できなかったおっさんの戯れ言」と断罪するのは容易いが、当時はそんな考え方が主流だった。映画の時代が訪れる事にまだみんな気付いていなかったのだから(映画人がテレビの時代が到来する事に気付かなかったように)。 既存の概念で成功している人間が新しい概念の存在を否定したがるのはいつの世も変わらない。活字印刷業界で世界一の発行部数を誇る読売新聞が愚昧で下らないインターネット批判を真顔で続け、逆に、部数の低迷する産経新聞がなりふり構わぬネットコンテンツ乱発を繰り広げているのも同じ理屈であろう。人は既得権を手放せず、持たぬ者は別の方策を探るものだ。だが活字印刷を愛する人間が同時にネットを活用する事は実の所難しくも何ともない。 青木りんのファンだからと言って森川まり子を嫌う必要があるか?ない。欧州サッカーのファンだからという理由でJリーグを見下す頭の悪い方々みたいな凝り固まった思考は実にいけない。とろけるチキンじゃあるまいし。 新大久保のぽちゃ専風俗ばかり見ていて池袋に大層丸くてえっちでかわいらしい子が入店しているのを見落としたら勿体ないではないか。ビッグマックを食べていてパンズを床に落としてしまうぐらい勿体ない。常にアンテナを張り巡らせて、新しい情報を掴んでいく事が老化を防ぐ対抗策だ。 限界はあれど常に前を向く姿勢がないと、牧太郎みたいな頭の悪い老人になってしまう。私はああいうのは嫌だ。 良くわかってもいないのにTwilogなんかもはじめちゃったりして。 時代に媚びるのは愚か者のする事だが、時代を見据える努力ぐらいはあっても構わないだろう。 脳の進化を諦めて新たなぽちゃさんとの邂逅に気付かず死すとしたら君はそれで生まれて来たと言えるのか。 深く考えねばなるまい。、要するにぽちゃさんとの出会いや進展を諦めて現状に埋没してはならないという話である。今日はそんな感じで愚かな君たちに説教をかましたい。 真面目に生きろ。恋に賭す意味の尊さに、そろそろ私たち人類は頭を垂れねばならない。
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