堀江貴文チャチャチャ
元ライブドア社長堀江貴文の実刑が確定したが、よくわからないのでブログでコメント出来ない状況である。私は実の所ライブドア事件にそこまであまり関心がなかった人間なので、一体何がどう問題となって起訴され、逮捕されたのは今一わかっていないのだ。
要するに私は事件に興味がないのだ。同じ堀江でも堀江しのぶなら巨乳がまぶしかったので少しは関心がある。しかし故人だし昔の人だし私の理想とするまでのぽちゃさんでもないので「少しは関心がある」という程度に過ぎない。堀江貴文に関する感想はその少ない興味の堀江しのぶにも劣る程度だ。男だし。
ただ、「いけ好かない奴」と言う印象は持っている。近鉄バファローズ消滅騒動の時に颯爽と現れた姿はプロ野球ファンとして好感を持ったがそれだけだ。特に深い理由があるわけではない。喋り方だとか見た目が気に入らなかった、生理的に好きではないという話だ。ちっとも理論的な理由ではない。ただ、ライブドアという会社の実体がよくわからなかったし、ナベツネが猛反対したのも気になってはいた。 私は読売新聞の渡邉恒雄が大嫌いである。傲慢なフィクサー気取りで、自分が権力を手にしたと勘違いしている。しかしそれはそれとして裏事情に精通している人物である事は確かであり、「ナベツネが猛反対していると言う事はライブドアという企業には何らかの暗黒面があるのだろうな」とは漠然と感じていた。ナベツネはクソジジイだが決して馬鹿ではない。楽天の三木谷ならいいがライブドアは駄目だと強く主張している姿は気になった。楽天だって十分に「怪しい企業」だ。ついでにソフトバンクも。IT企業の皮を被った金融組織であった事は間違いない。だがどうして「ライブドアだけは駄目」がナベツネの出した答えだったのか。 あそこまで反対したのには理由があるはずだ。ぽちゃさんの乳輪に吸い付くと乳首が膨らむがそれは「感じちゃったから」という理由がある。同じように、わかり易い、重大な理由があったに違いない。 近鉄バファローズ消滅事件から間もなくして、ライブドアは事件を起こした。それは企業経営に疎い素人にもわかるレベルで悪質な粉飾決済だったとされる。だが、沖縄で全ての事情を知る男、野口英昭の死亡劇が起こり、事態は一気に暗黒面を噴出させた。オウム真理教の村井が公衆の面前で刺殺された時と同じ種類の黒い衝撃だ。野口が死んで一番得をする人間が誰かを誰もが知っている。しかしあのお喋りな堀江が野口の件については積極的に語ろうとしない。私は、堀江貴文を信用しない事に決めた。 そんなわけで堀江という人間に不信感を高めた私だったが、じゃあホリエモンのどこが「具体的に」信用出来ないのかというと正直なところ全く一切答えられないのが現状である。私は「ホリエモンは信用出来ない野郎だ」という幼稚な意識レベルで思考を止め、それ以上ライブドア事件に関心を持つ事を止めた人間だからだ。要するに、よく知らないので語れないわけである 「よく知らないんだけどあまり好きではないという感情は持っている」 これは余り褒められた話ではない。要するに私は堀江貴文という人間を色眼鏡を通してでしか見ていないという事である。「よくわからないんだけど好印象を持っている」という考え方も実は同じだ。何となくテレビを見て武田邦彦を信頼出来る人間と簡単に考えてしまう人種と同じ危うさである。だから私はぽちゃさんを好きである事の理由を考え続けていた。簡単に印象を結論に持っていく事は危険過ぎるからだ。「好きだから好き」という考え方も素晴らしいものかも知れないが、やはり自分の感情を言葉という理屈で説明出来ないのは心のどこかで引っかかりを感じるのだ。人は考える葦である。考えない葦であれば意味がない。理屈に溺れてはいけないが、理屈のない人間の何と薄っぺらい事か。 「ぽちゃさんは、かわいいから好きだ。素晴らしい」 これが私の感情の根幹である。何故かわいいと感じるのか、かわいいと感じると言う事はどういう事なのか。常に思考を重ねて私は生きている。しかしひょっとしたら堀江貴文という人間を深く追求したら実はとっても魅力的で素敵な人間だという結論に至る可能性もある。逆に、考える事によって「実はぽちゃさんは素晴らしい存在ではない」という恐ろしい結論に到達する可能性もあるわけだ。恐ろしい。999の機関車風に言うと「恐ロシイ...私ハ恐ロシイ」。アメリカ人っぽく言うと恐ろしいデース。マヤ、恐ろしい子。 そろそろライブドア事件に関してもきちんと深く興味を持つべき時が来たのかも知れない。「今更かよ」「お前が興味を持ったからと言ってどうなるというのか」と言われると返答に窮するが、何だかそんな感じがする。私がうだつの上がらないIT業界の端くれの営業マンをやっていた時代に堀江は創業し企業を育て上場させるまでに持って行った。この差はどこにあるのか、考えてみたい。 私は自分自身が業界で居場所を失っていく実感を以て疎外感を感じていた時分に時代の寵児へと上り詰めた堀江に対して冷たい感情を持っていた感は否めない。どこがIT企業なのか実態が見えないライブドアに関して懐疑の眼で見ていていたという理由もある。しかしどうにも感情のみで「ホリエモンは好きになれない」と考え、そこで終わっていた事は事実である。 ぽちゃさんを考える喜びが私の原動力であるように、考えて、自分なりの思考を積み重ねる事は大切な事だと思う。 ライブドア事件から五年の時を経て、私はようやく堀江貴文という人間に対する興味を持った。 興味がない事は仕方がないが、興味がないのに勝手に断罪したり持て囃す事は全くよろしくない。人それを偏見という。ぽちゃさんだってどうして自分が好きなのか全然わからない男に「とにかく好きだ」と言われても説得力を感じないはずだ。 ブルース・リーは考えるな、感じろと言ったが全く考えない人間はただの愚民だ。私は愚民にはなりたくない。ぽちゃさんを愛する賢人として、明日への一歩を踏み出したいと考える所存である。
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