ワルプルギスの夜は古の夢物語に巡り会えるか
魔法少女まどか☆マギカが素晴らし過ぎる。
魔法少女まどか☆マギカが凄い。あれはGWちょっと前の事だった。2ちゃんねるで「俺、まど☆マギの最終回見たからもう人生に悔いはないよ。ふくいちにボランティア行って原発止めてくる」と言う不謹慎なネタレスを目にして「なんかまたわけのわかんないブームが起こっているみたいだな」と知った私であったが、ついこの間、暇潰しついでに観てしまったのだ。
凄えよこのアニメ、震えたよ。おじさんいきなり出会い頭にマイティ井上のサマーソルトドロップを三十連発でかまされたぐらいの衝撃を受けたのである。いや、それ以上かもしれない。例えるならばDEATH NOTEとヘラクレスの栄光IIIとイデオン劇場版を同時鑑賞したかの如きスーパーセルっぷり。 確かにこの作品には体重90kgを越えるであろう麗しきぽっちゃり女体が一切登場しないという決定的な欠点がある。それどころか60kgオーバー娘すらいないだろう。唯一まみたんはその乳の太さからしても将来三桁を目指せる肉体ポテンシャルを秘めている有望株であることには間違いない。しかしこの女は一見役立つように見えて俺のほむほむの足手まといにしかならない困った奴である事も間違いない。まあ、さやかよりはマシだが。肉だってほかの少女よりはマシと言うレベルで、私の望む段階には全く達していない。 (ひょっとしたら緑のムギこと仁美には肥大女体の才能が眠っているかもしれない。彼女には太娘の可能性を感じる) それでも、これと言ったぽっちゃり少女が登場しないというネガティブファクターが全く作品の凄みに影響を及ぼさないと言う事実に関して私たち人類はジャパメーションなるジャンルをこの世に齎した先人たちに深く感謝せねばなるまい。 「何でその辺に転がっている小娘が地球を救うとか出来るんだ」などというアニメ的お約束も設定の素晴らしさでクリアしている。ただのテレビまんがの主役であるロボットにミノフスキー粒子と言う設定を与えモビルスーツと言う概念を生み出した禿がいるが、クリエイターの底力なるものは素晴らしい。物語が下らないとどれだけ設定を盛り込んでも設定オタクの自慰行為にしかならないが、物語に芯があると設定は世界観を広げ、深め、物語の芯を更に太く紡ぎ合わせていく。まどかに巻き付いた因果の糸の如く、2011年初頭にたった12話放送されただけのこの作品は、日本のアニメ史に語り継がれる快作となった。 人は愚かであざとく、浅ましさが夢の底に眠っている。だが人の抱く希望は輝かしく光る願いそのものであったはずだ。 穢れなる免疫なき少女たちを家畜として扱うクソ野郎のキュゥべぇには理解出来ないかもしれないが、人間が人間であるための原動力だ。だから、彼らが地球上に現れなかったとしても人類は発展し、洞穴を抜け出し文明を築くまでに至ったであろう事実を我々は知っている。ファッキンQB。地球人舐めるなこの野郎なのだ。 しかし私が口にするまでなく、画面にキュゥべぇが現れる度に世界中のアニヲタが実況BBSで同じ書き込みをしてしまう。 その点アメリカのオタクだろうと日本人だろうと中国人だろうと同じだ。中国人の反応を見たい人はニコニコ動画の完全パクリ動画サイト、BiliBiliでまど☆マギ各話を鑑賞して貰えればよいだろう。アメ公の反応は4chでまとめられている。 「QB死ね」「このクソ野郎」「淫獣」「こいつクズだよ、間違いないよ!」「頼む、誰かこいつを殺してくれ」「いいから死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」「まどか逃げてええぇぇぇ」 私たち日本人だけではない。我らがほむほむにの手よってキュゥべぇが打ち抜かれたり潰されたりする度に、普段は現実世界で傷付け合っているヤンキーも中共の犬も、みんなブラボーと歓喜の雄叫びをあげたものだ。地球人の心を一つにしてしまえるなんて流石は超生命体である。 いつか君も誰かのために 強い力を望むのだろう 私たちの現世も、誰もが誰もふくよかな女体を求め望み、全ての女性が豊かな肉に包まれるならば、間違いのない輝く未来が訪れるだろう。しかし現実は冷酷で、人の希望は絶望に飲み込まれて行く。 誰の心にも無力の象徴たるワルプルギスの夜が眠っていて、愚かな時の輪を巡り回り続けているのだろう。 この作品を見て「何で願い事が一つだけ絶対叶うんだ。そんな事出来るわけ絶対有り得ねーだろワロス」程度の感想で終わってしまったら駄目だ。感じよ。鈍い奴は「ぼくのほむほむタンかわいいよハァハァ」でもいい。その感情を脳に叩き込め、話はそれからだ。 久々に脳天にキた作品である。わはしはこの作品を絶対的に支持したい。 愛と勇気と希望の物語ではないけれど、結局人が紡ぐ物語は愛と勇気と希望を求め続けるものだ。だからこそ私たちのやり方で文化も文明も開花した。 感情を理解出来ない生命体では永遠に到達不可能な戯曲である。ワルプルギスの夜も、優しい人の意志で救われたのだから。最後に、私は圧倒的にほむほむ派だが、杏子も十分に萌えられた事実をお伝えしておこう。これで親戚のおばちゃんの名前と呼び方が同じではなくて、四六時中食いまくっているのに全くぽっちゃりしないと言うおかしな設定でなければ完璧だったのに。制作者はぽちゃさんに恨みか偏見でも持っていたのだろうか。反省求ム。じゃ!
<↓適当に増やしていく予定画像群↓>
ほむらちゃほむほむ.wmv
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