AEDはなかった
備えあれば憂いなしと言うが、備えなければ憂いありと言うべきか。タオルを持たない夏のぽちゃさんも街中で後悔しがちなものだがそれで倒れたりしたら事態はもっと深刻だ。
サッカーJリーグ下部に当たるJFLの松本山雅FCに所属する元サッカー日本代表DF松田直樹が練習中に倒れた時、そこにAEDはなかった。勘のいい子なら幼稚園児でも使えるぐらい簡単で有効な蘇生装置であるAEDだが、なかったのだからどうしようもない。
「終わった事を言っても仕方がない」とか「今回の松田選手の疾患はAEDがあっても助からないケースだった」と言う意見もあるが、じゃあAEDがあれば助かる疾患のケースだったらどうなっていたかというと、結局AEDがないから死んでいたわけであり、意味のない反論だ。確かにタオルがあってもぽちゃさんの汗は止めどなくわき出てくるだろうが、だからそれがタオルを持ってこなかった事に対する免罪符になるわけではない。 そもそもAEDが効いたか効かなかったとか言う以前の問題として、うちの職場ですら普通に二台置いて従業員講習を受けさせているAEDがないとか、同じ日本の、仮にもJリーグを目指すサッカークラブだとは思えない。 練習中に倒れた松田の応急処置をしたのも遠くから見ていたファンの看護士だったというし、トレーナーやマネージャーといったスタッフやコーチは(それがうまくいくかどうかは別としても)心臓マッサージ一つ行えなかったのだろうか。 「偉そうな口を利くな、お前がその場にいたら冷静にそういう行動が取れたのか」といいたい人もおられようが、やれますよ、と答えられる。何故なら私は仕事で業務の一環として行っているから。では松本山雅のスタッフにとって選手の非常事態に救急活動を行うのは業務ではないのか、通りがかりの素人と同じ知識、自覚でいいのかと言う話だ。東京国際マラソンで松村を救ったのは名もないボランティアだった。ボランティア以下なのか? まあさすがにこれはうがった見方で、実際には蘇生処置を行っている最中に看護士が名乗り出て引き継いだものと思いたいが、AED一つ用意するという発想のなかったクラブだという時点で本当に適切な処置を行う用意が出来ていたのかというと疑問であり信用し切れない。これは結果論ではない、逆だ。「適切な処置」とは松田を救えたかという意味ではなく救うための処置、その場で出来る最大限の措置を行えたかという意味である。仕方がないだとか運命だったの一言で済ます奴は本物の馬鹿だ。それは適切な処置を行うためにベストを尽くした場合のみに口に出来る言葉だろう。 タオルなんかいちいち持ち歩かないよと言う人もいるだろう。それはわかる。だがAEDはどうだろう。 かつて北教組は小学校へのAED設置を反対した過去がある。ネットを探るとマンションへのAED設置を反対した住民の投稿なんかも見て取れる。いずれも情報弱者故の間抜けな反発だが、あくまで昔の話だ。一般人であっても今時AEDなんて知らないとか要らないだとか、首相のフルネームを言えない人ぐらい話にならない。ましてや松本山雅はJを目指すクラブである。 しかし実の所AEDを所持していない事を憂慮するスタッフは松本にもいたはずだ(いないわけがない)。もし本当に一人もいなかったとしたら冗談抜きで松本は今すぐ潰れた方がいい。 東電や中国鉄道省、武藤全日本プロレスと同じだ。強いトップダウンの組織は、権力者が粗忽だと粗忽な組織になり、権力者が低能だと低能な組織になる。目の前の出来事に四苦八苦するだけで正しい優先順位の付け方を認知出来ない組織ならではの迂闊な結末だった。何せうちのアホ会社より用意が疎かだったわけである。津波を想定外でしたと言い放ったどこかのお偉いさんと何がどう違うのか。 「AEDがなかったぐらいでえらい言い様だなおい」と思われる方もおられようが、契約社員に契約書を送付し忘れるぐらい愚かだ(ちなみにこれはうちの会社の話である)。愚の骨頂である。 タオルを忘れて汗だくのぽちゃさんは見ていてかわいいかも知れないが、AEDの設置を忘れていましたなんて問題外だ。ベストを尽くしたが力及ばず亡くなったのではない。ベストを尽くせぬ環境の中、一人の人間が倒れたのだから。
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