ニュートリノ暴走!
ヨーロッパの研究施設でニュートリノの実験をしていたら、ニュートリノが光の速度より早く目的地へ到達してしまうという実験結果が出てしまい、物理学者たちが頭を抱えている。
私たちも町を歩いている女性が複数いても、まずぽちゃさんの姿がまず最初に目に飛び込んで来るものだ。しかし人によっては幼女が最初に飛び込んで来る人種もいるし、女性に目もくれずに脇を歩いているガチムチ工員に心ときめかしてしまうナイスガイもいるだろう。これらは全て個人的趣向の差違が齎す結果の差違だが、光の世界はそうはいかない。
「カミーユ君、君は、アルバート・アインシュタインと言う人物を知っているか?」 赤いノースリーブのロリコン中年に聞かれるまでもない話だが、アインシュタインの特殊相対性理論によれば物質が光の速度を越える事は不可能だからだ。昔のヒット曲風に言えば「そーんなーのー常識~♪パッパパラリラ」。 マスコミは大騒動してタイムマシンやらニュートリノは過去から未来に飛んだのかやらと随分とオープンマイハートな報道に徹しているが、どこかに何らかの落とし所というかオチがあるはずだ。 しかし長く信じられていたニュートンの理論が絶対ではなかったように、どこかにちょっとした、しかし大きな、物理学上の見落としがあるのかも知れない。 それは多くの研究者が指摘しているように素粒子の測定方法やプログラミングのバグと言ったシステム上のミスかも知れないし(夢がない)、相対性理論自体の及ばぬ領域における素粒子の特性かも知れない。量子論のようなミクロの世界になると相対性理論が破綻する(と言うか無限大∞地獄)事は広く知られている。あまりにゼロに近い質量の世界では、我々の知る世界の常識は通じない。 ニュートリノに質量が存在する事自体解明されたのは最近の話だ。ほんの少し前までニュートリノには質量が存在しないのでは、等と考えられていたわけである。というか単純に質量を計測出来なかったわけだけど。科学の歩みなんてそんなものである。今ある現実を一笑に伏す者はいつの日からやがて自分が笑われる。頭のどこかで計測がミスではないかも知れないと言う可能性を物理学者の皆さん持っておいた方がいいだろう。ガリレオは変な奴だったかも知れないが、正しかった。 それでも今の所何らかの人為的(ハード的)ミスが光速越え測定事件の最有力視されている原因だが、それでは余りにも夢がない。どこかの物理学者がインタビューに答え、「多分計測のミスだろう。でも本当だったら嬉しい」と語っていた。夢が現実を我が手に収める。人間の歴史はその繰り返しだった。 ニュートリノは本当に光を越えるのかも知れない。 地球が丸い事実に気が付いてから万有引力論も深く掘り下げられた。ニュートリノが重力で少しだけ湾曲している光のルートをショートカットし先に目的地に到達したなんて言うSFチックな展開だったら面白い(三次元的に例えるなら日本からブラジルへの最短ルートはメキシコ周りでも北極回りでもインド洋周りでもなく、地中をほぼ真下に貫く直線ルートである)。勿論私の脳味噌では理論を数式化するのは不可能なので世界中の物理学者たちに頑張って貰いたい。 人には人の使命がある。物理学者は物理学を。イチローは野球を。植田まさしは四コマを。スティーブ・ハウはギターを。ナイチンゲールは看護士を。プーチンは独裁を。ユダヤ人は金儲けを。そして私はぽちゃさんの探求に精を尽くそう。パプテマス・シロッコみたいにいざとなると傍観者を気取って逃げるのは良くない。 それにしても一部の報道で書かれているように「時間逆行」「未来のタイムマシン開発の夢広がる」とか騒ぐのは流石に滑稽だ。公園の草野球でたまたまヒットを打った小学生の息子を見て「ベーブ・ルースの再来か!」と真剣に喜ぶ親父が存在しないように、そんなに簡単に壮大な夢を妄想されても困るという話だ。しかし風呂場で圧倒的超乳を揺らしながらお湯に浸かるぽちゃさんを覗いてバレたとしてもタイムマシンに乗ってバレてない過去に戻れば万事OKとくれば未来の夢華学に期待せぬわけにはいかない。荒唐無稽でも夢を語る奴がいつの時代も人の世を引っ張ってきた。色取り取りの希望社会は、私たちの心の中にある。 世界中の物理学者が心の底のワクワクを抑え切れない。つまらない日常に区切りを付けるチャンスだ。 太き女体を望む民も、科学者も同じなのだ。 全ての人々は、希望を胸に抱き今日を生きている。
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