田舎っ娘万歳、でんがな
我が青春の朝ドラ「カーネーション」で、上京したヒロインの長女が帰省したらすっかり標準語になっていた(興奮すると岸和田弁に戻るが)。かわいらしい話である。
流されやすい子、と言ってしまえばその通りだが、まあ、普通の人と言うのはそんなものである。 基本的に田舎者はかわいい。かわいくないのはヒネた田舎者である。最初はイモ臭い田舎言葉が抜けきらず恥ずかしがる姿がかわいらしい。ぽちゃさんならなおの事かわいらしい。
体重80kgを越えるうら若き女体が己が方言に恥入りどこかアクセントがおかしな標準語を必死こいて使っている図は、想像するだけで興奮出来る。 「そんな想像でいちいち興奮出来るとか、変態かよ、お前」と突っ込みたい皆様方もおられようが、出来るものは出来る。だいたいぽちゃさんたるもの妙に開き直った奴より乙女のいじらしさが色濃く滲む憂いを隠し明るく元気に振る舞う子の方が男心にヒットすると言うものだ。 しかしながら東京に与しないタイプの人種も多々いる。一部の関西人である。例えば君も、東京に出てきて五年、十年経ってもしつこく関西弁を使い続けて譲らない人に出会った事はないだろうか。 「ないです」と言う人はなかなかラッキーだ。私は何人か知っている。非常にウザい。 彼らは自意識過剰な割には無個性だ。だが自分では個性的だと思っている。関西(大阪)らしさこそが自分の個性だと信じているのだろう。本当は「関西」と言う在り来たりのフォーマットに埋没しているだけの小さな個体に過ぎないのだが、ステロタイプの関西人を演じる事が自分らしさの確立に繋がると信じているのだから仕方がない。 もちろん関西弁のぽちゃさんもかわいい。 いや、関西弁だけではない。九州弁でも三河弁でも、ばあさんどもが集まって「そうさよー」「そうさよー」と囀り続ける甲州弁にしても、ぽちゃさんが口にするのならかわいいものだ。 しかし意固地なぽちゃさんはどうだろう。世界一美味しい食材であるカレーライスも鼻糞が混入してしまうと何もかもが終わりであるように、ぽちゃさんだからってあんまりうざいと愛するのも億劫だ。 何が言いたいのかというと素直でそのままの姿を見せてくれるぽちゃさんが一番可愛いという話である。根本はそれだ。 逆に言うとどんな麗しい肉を纏ったぽちゃさんであっても、意固地であんまり頑なな女体はかわいいと通り過ぎて結滞だと覚えて頂ければ結構だ。 人は皆、いつまでも優しいばかりではいられない時もある。 訛りを隠す必要はない。しかしあんまり開き直られると困る。 私からのメッセージは、要するにそう言う事だ。
|