怒りの発現
許せないと思ったら即座にその場で言い返す。職場でこの十年近く守り続けている俺ルールである。
相手は選ばない。上司でも取引先でもお構い無しである。もちろんリスクはデカい。上原花の乳ぐらいのデカさだろうか。しかし私には「我慢して事態が良くなった、好転したと言う成功体験が全くない。一度足りともない」という悲しい過去の積み重ねがある。
沈黙は金なりと人は言う。美徳なのだと言う。本当だろうか。我慢して我慢して、それが実となり花となり収穫される日が来るのだろうか。 思うに、私の勘によると、きっと、才能や実力を秘めた、いわゆる能力のある人間はそうなのだろう。 彼らは余計な事を口にしなくても力があるから最終的に周囲に認められるのである。人格者であれば尚更だ。では凡人である私はどうなのだろう。 私は物心ついた頃から気弱な子だった。優しい子と言えば聞こえは良いが、現実は気弱なだけだった。周囲との軋轢を恐れ、意見を言わないようになった。頭に来ても胸の内に堪えるようになった。しかし全くの間違いだったと感じる次第である。自分を守る事が出来るのは自分だけだ。 何の才覚もないから目立たぬよう隠れるのではなく、何もないからこそ自分の意志を明確にして目の前の出来事とたたかうべきだったのだ。 伝説のHPでも謳われていたように、おとこなら、たたかえる筈だ。 ぽちゃさんも、指をくわえて眺めているだけでは手に入らない。別に痴漢しろとか無理矢理さらえとか言っているわけではない(バッファロー'66ではそれをやった主人公が何故かハッピーエンドを迎えたが普通は逮捕されるからやめるべきである)。勇気を奮って声を掛ければ良いのだ。 それぐらいの勇気は君にも残されているはずだし、逆に言うならその程度の勇気もないなら男として生きていて悲しすぎる。 人に遠慮して思うが儘に感情を吐き出す事も出来ずただ生きるのか。後ろ指を指されてでも思うが儘に本当の自分を吐き出すのか。君はどうする、君はどうするか、君は。 問題は、別に何でもかんでも他者に反発して厨二病を拗らせた自称レジスタントみたいになってはいけないと言う事だ。団塊の世代は学生運動に夢中になったが、あんなのを真似する必要はない。自分の意思で何が正しくて何が正しくないかを問い正し、自分なりの正義と言葉を以て立ち向かわなければただの気の荒い変人になってしまう。そこが難しい所だ。 誰とも諍いなく、家に帰ってセキセイインコと遊び、癒されるだけの生活も悪くないが、男には引くわけにはいかない、許すわけにはいかない一瞬と言う刹那がある。そこを苦笑いでやり過ごし、後になって悶々と悶える昨日は真っ平だ。 ストレスは溜めず、その場で解決する。長々と書いたが、要はそう言う事だ。しかし大切な事だ。許せない人間に、黙って追従する必要などないのだから。
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