ANAシステムエラー騒動を考える(後編)
さて今回のブログ記事は「(後編)」である。しかし前回どういう文章を書いたか殆ど忘れてしまったので今読み直している最中だ。もう少し考えてブログを書くようにしたいと反省する次第である。
よし、前回の記事を解読してみた。 つまるところ、「普段他人の幸せを憎んでいると自分が幸せな立場に立ってもなお幸せな他人を憎む心は消えない」という内容を書いたところで「続く」となっているわけである。先日の複雑な人間心理を書こうとしたが途中で面倒臭くなって書くのを放棄したのだろう。そんな気がする今日の私だった。
大学時代もそうだった。浪人時代は同年代の大学生を見ると後ろからソバットを食らわせてやりたくなるぐらい憎しみを募らせたものだ。しかしながら自分も何とか合格して学生になるとそんな衝動もなくなるだろうと思っていたら、あに図らんや、何故かやはり街中でヘラヘラしている学生を見ると殴りたくなる衝動を抑えられないものである。これは憎しみが人格の根幹を歪めてしまう一つの例だ。今も私は無闇に楽しそうにしている大学生を見ると頭の奥でムカムカして来る感情を有している。こういう一度曲がった心は元に戻らないものである。 しかし癒す事は出来る。私にとってはぽちゃさんの存在がそうだ。横にいるだけで温かい気分になれるわけで、多少なりとも歪んだ人格が抑制され、普通に生活出来るレベルまで精神状態を戻してくれるわけなのだ。 全く心が歪むことなく大人となった場合、そんな癒しを心の底から実感出来る人間になれるだろうか? 関空、いや、痛み(*)や苦しみを知っているからこそぽちゃさんを愛でる喜びもグレードアップするのだと思うのだ。だから多少私の心が臍曲がりで北を向いた困った奴であっても気にする事はない。その分大きく深い愛情の持ち主なのだから安心して私の恋人に立候補してくれれば幸いだ。 そんなわけで先日の全日空システム障害騒動に話を戻すが、自分も連休を取れたのにも関わらず「俺が取れない連休を取って旅行に行こうだなんて生意気なんですよ。これは罰が当たったのですねウワハハハハ」と思ってしまったところで仕方がない。普段連休が取れないから、実際に取れた場合でもそういう風に脳が判断してしまうのである。だが先にも書いたように多少歪みのある人生の方が愛や安らぎを深く感じる感受性豊かな人間となれる。だから気にするなと私は強く訴えたく思う。 まあ今回はこんなとこかな?ウン。適当な「(前編)」の続きをまとめた割りには思いの外破綻せずに文章が書けたのでそこそこ満足だ。次からはもう少し真面目に考えてブログ記事を書きたいと思う。ハイ。 ところで今でも私は世界一カッコイイ飛行機は懐かしの全日空のエース、ロッキードL-1011トライスターだと思っているのですが如何だろうか。子供の頃そんな風に脳に刷り込まれたのである。多分死ぬまで私にとって一番カッコイイ飛行機材はトライスターなのである。ロッキード事件の事については忘れてあげよう、なのだ。
(*)-渾身のギャグである。皆様大いに笑って頂きたい。
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