「箸」物語
先程、生まれて初めて「箸」という漢字を書いたのである。「竹へんに者と書いてお箸」なのだ。簡単な漢字だが、私はこれまでにこの漢字を自らの手で書いた事はなかった。ひょっとするとパソコンやワープロでタイピングした事もないかも知れない。
鐵、梵、糠、麗、唾、雹、鰐、蚊、髭、豹、鼓、喪。 形は知っているけど人生で一度も手で書いた事のない漢字を適当に1ダース挙げてみた。結構簡単に思い付くものだ。 豫、蠣、烹、媼、撞、轡、炬、鍍、驍、俐、祁、麩といった見た事も聞いた事も読み方の想像すら付かないような字体ならともかくそれなりに使われるような漢字であってもこれまでに縁なく書いた事すらなかったりするわけだ。 晩餐の餐とか、書いた事ありますか?私はない。もう少し簡単な字体である晩酌の酌すらない。そんなものだ。
頭でわかっている事と実行した経験のある物事はまた別で、私は多くの漢字とすれ違って人生を過ごしている。 ぽちゃさんも同じだ。 この世の中には数多のぽちゃ女性が存在するにも関わらず直に会話をしたり触れ合った事がある子は何人何十人もいるわけではない。これが現実だ。世の中のあらゆるものと、殆ど触れ合うことなく人生は過ぎ去っていくのである。 ホモサピエンスとマンモスも悠久の歴史の中で僅か数千、数万年の邂逅で別れる事となった。マンモスが絶滅したからである。だから両者はもはや二度と歴史の中で混じり合う事はない。次はない。出会いは儚く、尊いものなのだ。まあマンモスの場合は人間が食い尽くしたから絶滅したという説も有力なのだが。それはそれとしてこの万博いや違った長い地球の歴史の中でほんの一瞬巡り会えたわけである。 身近に存在するのに遠い存在。そんな「箸」という漢字をとうとう私は手にしたボールペンで記したのである。うーむ、大した達成感があるわけでもないが改めて考えると感慨深いものがあるぜ。そしてこれから死ぬまでの人生の中で「箸」という字を書く機会が次に訪れる事はあるのだろうか。今までなかったのである。これからもない可能性は高い。たかが一つの漢字ですら、人の人生から見れば一瞬の巡り会いなのだ。 正しく出会いは瞬間の奇跡と言える。簡単に出会えるように見えても実は奇跡なのだ。私と君の、いつの日か訪れるであろう出会いも奇跡なのである。 コンビニで順番待ちを巡って睨み合ったチンピラと公務員も、交差点で衝突しそうになって怒号を交わす老人と若者も、エルサレムで命を削ぎ落とし合った十字軍のカトリック教徒とイスラム教徒も、出会いという奇跡の産物を享受していると言えるのだ。 しかし出会うだけではそれはただの偶然である。奇跡を偶然と捉えるか必然と捉えるかは出会う立場にある私たちの心掛け一つにある。一期一会なる言葉があるが正しくその精神だ。もしかしたら二度と出会えないかも知れない。だからこの出会いのひとときを大切なものとして過ごしましょうと、千利休は唱えたのだ(どうでもいいが"千利休"を一発変換しないのはヤバいと思うぞ、ATOK)。 いい事言うなあ、千。 そんなわけで私もこの大宇宙における大切なぽちゃさんとの出会いを心の底から慈しみ、大事に扱っていきたいと思う。勿論人生は上手くいかないものなので死ぬまで二度と会わなくても結構と思えるようなどうでもいい人間(例:上司)とズルズル腐れ縁を続けてしまうとか、望んでいた方向と違う未来が待ち受けているものだがもうそれは仕方がない、諦めよう。せめてぽちゃさんと出会った時だけでも、一期一会の精神で豊かなる時を共有したいと思うのだ。 そしてその出会いは案外と身近な所にあるかも知れない。 醜、釈、窮、蒙、壇、彗、餌、螺、后、蹄、鰤、畳。 また別の、形は知っているけど人生で一度も手で書いた事のない漢字を適当に1ダース挙げてみた。 うーん本当に結構多いな。しかし確かに私は人生で啓蒙の「蒙」という字を書いた事がないし、困窮の「窮」なる文字も書いた事がない。「后」「髭」「餌」「畳」」ぐらいはあるだろうという気もするが、やはり書いた記憶はない。ひらがなやカタカナで「ひげ、ヒゲ」なら何度かあると思うが。 かように「すぐそばにあると思っている漢字でさえも、実は生活において遠く離れた存在なのである」と私は考える次第なのだ。すぐそばにいるはずの君とすれ違う。真に漢字は恋愛に似ている。 「似てねーよ」とかいう無粋な突っ込みはこの際無視する事としよう。 「今回のブログ記事って、要するにおめーが漢字に疎いだけだっていう話なんじゃねーのか?」なんて具合に私のプライドを傷付ける意見も聞く気はない。 生まれて初めて「箸」という漢字を書いたのだ。意味はあるはずだ。「はじめて」には価値がある。 「私はカモメ」は、世界初の女性宇宙飛行士となったソ連のテレシコワが放った言葉として歴史に残っているが、実の所「ヤー・チャイカ(私はカモメ;こちらは"かもめ")」という単なる自らの識別コードに過ぎず(「こちらスネーク」とかと同じである)、しかも飛行中にパニック障害を起こしかけて女性宇宙飛行士が敬遠される原因になったとも噂される、然程優秀な飛行士とも言えぬ人物なわけだが、そんなの関係ない。世界初の女性宇宙飛行士という肩書きが彼女のコールサインを歴史の名言にと押し上げているのである。「初めて」には、それなりの付加価値があるわけである。 牢、拿、諺、蜘、鱈、庵、苔、挽、掌、辱、禊、貪。 うーん...本当の本っ当に書いた事ない漢字って多いな。 先はプライドがどうのこうの書いたが、実際の所如何に勉強が苦手な学生だったかバレてしまいそうな気もする。 しかし私に限らず世の中は書いた事がある漢字より書いた事がない漢字の方が多いのだ。そして漢字に限らず人間ってそういうものだと思うのである。 漢和辞典には50000の漢字が収められ、中国の辞書には85000語が収録されているという。だが君は一人だけの存在に過ぎない。 たった一人の大切な君ともなかなか巡り会えない人生。 使った事がない漢字がたくさん存在するだなんて、驚くような事ではないのかも知れない。そうは思わないかい、君? 口では簡単に示せる「恋」。そんな陳腐な表現も、君との初恋で心潤う喜びとなれば、幸いだ。 君との「はじめて」は、いつ訪れるのだろうか。
|