ああ無情無情(後編)
はてさて無情なる世の中に負けず柔らかいぽちゃさんと触れ合ってハートフルなウィンターシーズンをクリエイトするのが我々ぽっちゃり愛好家の法政もとい命題(メイダイ)である。
これを達成出来ない場合の冬は単なる寒冷なる拷問であり、温もりと無縁の薄ら冷たい孤独の牢獄なのだ。秋葉の加藤や厚生省が憎い小泉みたいな犯罪者ならともかく何で真面目に生きている私がそんな状況に追い込まれなくてはならないのか。 理不尽だ。ラピュタ探索に駆り出されただけなのにムスカ大佐の暴走で全員死んでしまった軍人さんたちぐらい理不尽な思いである。
自分は変態趣味炸裂の骨格描き分けもロクに出来ない少女マニアアニメーターに過ぎないくせに商売相手であるアニメファンを「オタクは気持ち悪い」と忌み嫌う宮崎駿ぐらい理不尽だ。これが同属嫌悪というやつだろうか。「傍目にはあんたもアニヲタも一緒ですよ。大差ありません」と教えてあげる友人なり仕事仲間は周りにいないのだろうか。ある意味かわいそうなおっさんである。ファンだけど。 しかしながらこんな暗黒を象徴する季節たる冬であってもぽちゃさんが横にいればあら不思議、全く寒くなどないではないか。 「ちょっと待った。アンタ今聞き捨てならない事を言ったね。寒くない?本当に全く寒くないのか?氷点下40度ぐらいの厳冬下でもブリーフ一丁でバナナで釘が打てるくらい平気の平左なのか?モービル石油じゃあるまいしそんな見え透いた嘘を吐くんじゃないよこの調子モンが」 はいはい、じゃ訂正しますよ。全く寒さを感じないだなんてそんな事は有り得ませんもんねえ私が悪ぅございましたはいはい。 しかしながらこんな暗黒を象徴する季節たる冬であってもぽちゃさんが横にいればあら不思議、あまり寒さを感じないではないか。これでいいですね?では話を続けよう。 つまり体が寒くてもぽちゃさんがいれば <1>体をすり寄せれば物理的に暖まる。 <2>心が精神的に暖まる。 という風に、ツープラトンのダブルウォームシステムが働くのである。 一万円札一枚より一万円札二枚の方が破壊力が優れている。ハードディスクも一台だと単なる一段のハードディスクに過ぎないが二台あればRAID0或いはRAID1でより効果的な活用が可能である。 ぽちゃさんにはそんなツーバイフォー要素が備えられている。高見山風に言うと「ニバイ、ニバイ」というアレだ。 どれだけ冷たい季節であってもお隣にぽちゃさんが存在すれば身も心も相乗効果で暖まるというわけなのだ。東京ガスが自信を持ってお送りするガスヒーポン級の威力である。ただのお湯にバスクリンを入れるとめちゃくちゃ満足感が得られるが、そういった機能をぽちゃさんは本能的に備えているのだと言えるだろう。そんなぽちゃさんを愛すると言う事は私という人間にとっても、心豊かに、体軽やかな、健やかなる生活の営みを手に入れる事が可能となる。 世間の風は冷たい。言うまでもなく冷たい。 しかしそんな冷たい世界を潤わせてくれるのが女性という存在である。 人類がオスとメスの区別がない雌雄同体だったらここまでの文明文化の発展は不可能だっただろう。なぜなら男しか存在しない猿の群れがあったとして、そんな汚らしい集団が発達、地球上を覆い尽くす事を天がお許しになるはずがないからだ。私がシムシティ系のゲームをやっているプレーヤー(神)だとして住民が男だけしか集まってこないコロニーなんぞが京急いや違った形成されてしまったら、どんなにその集落がうまく発達していたとしてもリセットするか管理放棄して住民が自滅行動を始めるのを待つに違いない。 ドラクエだってそうだ。もしドラクエIIで仲間になるのがサマルトリアの王子だけだったらRPGのパーティシステムは誰にも支持されなかったに違いない。ローレンシアの王女がいたから三人一緒に頑張って戦おうと決意出来たのである。 宮下あきらのマンガの登場人物のように殆ど主要メンバーが男しか出て来ないのに面白い場合もあるにはあるが、それはレアケースもレアケース、例外である。Dr.スランプのアラレちゃんが男だったら。ストップ!ひばりくんのひばりが「女の子の心を持つけどむさいオヤジ」だったら。電影少女(ビデオガール)のあいちゃんがいつも鼻糞をほじっている小学生低学年の男児だったら。 考えるまでもない。全く一緒の内容だったとしても絶対ヒットしなかったに違いない。それが女性の底力かつネウチである。そうでなければ電影少女「あい」編の最終回で私が流した涙が無駄になってしまう(何で単行本だと加筆修正されているのだろうか。ジャンプ連載版が好きなのに)。 その女性の中でも最上位に位置するのが我らがぽちゃさんの存在だ。何故ならぽちゃさんは基本的にかわいいからである。どうしてぽちゃさんだとかわいいかは説明するまでもないが説明しておこう。乳の豊満さとか尻の丸みなど、女性の身体的特徴を強調すると必然的に脂肪が肉体を覆い丸みを帯びる形に到達するのである。つまりぽちゃさんは女性の究極形態と言える。美の最高峰なのだ。 物理の本によると量子は突き詰めると粒子でも波でもなく分けて考える事が出来なくなると言うが、ぽちゃさんも究極的には「美」と「かわいさ」が結合し不可離の存在となる。人はそれを愛と呼ぶ。 愛は風景を変える。無情且つ冷酷なこの地球上の人間社会に潤いを与え、人は生きる意味を悟るのだ。 明日の見えない乾いた未来が、ぽちゃさんが存在する事によって喜びに満ちる。この真実に私は感謝の意を隠せない。豊かな実りが約束された。 世界の無情に絶望する必要はない。我々はぽちゃさんを愛する意志を持った。意志は武器だ。心のこもった武器は強いのだ。ゴールデンハンマーを手に入れたマリオより強い。向かうところ敵無しだ。 世のぽちゃ女性よ、どんどん丸くなってかわいさを増すのだ。 これは世界平和を心の底から願う私の、命の叫びである。 そして最終的には私といい仲になって欲しい。 ここまで行けばもう満足だ。そして私は、愛を知る超人類へとステップアップするだろう。 ぽっちゃり彼女募集中。長い文章になったが、要するにいつものこの言葉を君に伝えたいのであるよ、私は!
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