乳に惚れるも人生、それが男(完結篇)
前回は「素直な気持ちでも正直に伝えない方がいい時もある」という深遠なるテーマに足を踏み入れた瞬間眠たくなって執筆放棄してしまった。イラストを描くのに手間取って時間が掛かってしまった事が敗因である。適当に続きを考えて書いてみよう。 さて乳に惚れるのは健全な男性君子としては致し方ない理由と言えるが、問題組織である日教組を問題組織だとはっきり発言したら更迭された中山国交相のような例もあると我々日本国民は今回の騒動で学んだ。 正しい事を口にしても「失言」と扱われてしまうのは何故か。それは表現の方法に問題があるからだろう。 ジミー鈴木のように表現が間違っている上に正しい事も書かないという問題外な人間も世の中には存在するが、まあ日教組が偏屈でおかしな教師たちの集まりだという認識は私が子供の頃から根強く存在した。少なくとも神奈川県では。 教師を労働者として見なし、特権階級ではないという基本的スタンスをアピールする分にはいいが、教育思想にまで強く影響を及ぼし独善的に教育界をリードしていこうとする輩が生まれやすい風土を持つ組織である事は事実だろう。 「日教組の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」 中山によるこの発言は実に痛快だったが、しかし国の要職に就く責任者が簡単に口にしていい言葉なのかというとまた別だ。それに日教組発言だけではない。この短期間に成田、単一民族、大分と余計な失言をベラベラ喋くり倒していたところを見ると、まあ悪いけど老人性のなんかの疾患が進んでいる困ったお爺さんというのが妥当な表現なのだろう。
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