錯綜的情報社会に生きる
ゴルフの石川遼とか横峰さくらとか、何で騒がれているのかわからない連中がいる。若い以外の特に何の特徴もないただのゴルファーが集中的に報道の中心に据えられ、例えば「遼クン、予選落ち」は報じられるが、その大会で誰が優勝したか等は一切触れられずに終わるのだ。そんな「情報」に何の意味があるのだろうか。
彼らを報道のメインにする事で何らかのメリットがマスコミにはあるのだろう。それは彼らの背後にあるスポンサーの問題かも知れないし、広告代理店の戦略かも知れない。あまり公にされないボクシングの亀田のバックのように、不必要なまでに力を持った団体が付いているのかも知れない。特定の利権に集る組織が、日本中に存在しているのだ。 ゴルフを例に例えたが、今回はゴルフの話ではない(興味ないし)。インターネットの意義を話したい。 基本的にマス・コミュニケーションは情報を操作する存在だ。誰が求めているかもわからない情報を恣意的に操作し、誰かが得をする構造を形作る。私たち受け手の都合は関係ない。マスコミは古今東西権力者の下僕に過ぎない。朝日だろうが読売だろうが、CNNだろうがおんなじだ。
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