ロクに観てもいないくせにゲゲゲの女房とついでにウェルかめを語るぜ
佳境を迎えるNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。私は会社に出社後事務所の隅で流れているのをチラ見する程度だが、それでも前作の「ウェルかめ」よりは圧倒的に面白いなと感じている。阪神タイガースと横浜ベイスターズのゲーム差くらい圧倒的だ。実在人物である水木しげるを漫画ファンとして知っているから面白く感じると言う事もあるのだろうが。
前作ウェルかめは、制作スタッフには申し訳ないが、全く全然どんな内容だったか記憶に残っていない。例えば私の場合中学一年の時隣に座っていたまみちゃんがぽっちゃりしていてかわいかった事はよく覚えているものの、その隣の席のガリ子は顔も名前も記憶にないようなものだ。ウェルかめはそんなガリ子と姿が被る。どうしてだかは知らないが、ゲゲゲの女房は仕事の手を休めて画面に見入ってしまう時が少なからずあるが、ウェルかめではそんな事一度もなかった。
さてゲゲゲの女房のストーリーだが、変わり者で極度に貧乏な漫画家に嫁いだ職歴のない中年ヒロインが全く働きに出る事もなく過ごしているうちに勝手に子供が産まれますます生活が苦しくなるも、ヒロインの預かり知らぬ内にこれまた勝手に旦那の漫画が売れ出し、結局ヒロインが何も特にしていないというのに何時の間にか幸せな家庭が形成されていると言うある意味鬼のように羨ましいお話でもある。私が小説家だったら「そんな都合の良い内容でいいのか」と編集やら読者やらからお叱りの言葉の一つ二つ食らいそうな感じだが何せこのゲゲゲの女房は原作自体単なる事実、ノンフィクションだからして、都合が良いも悪いも何もないのであった。 ちなみにゲゲゲの女房の原作本はかの「静かなるドン」も掲載されている週刊漫画サンデーを出版する実業之日本社より刊行されている。マァーンサーンマンサン、漫画サンーデーェエ~。怪しい中年向けマンガ雑誌専門出版社だと思い込んできた非礼を詫びたい。さすがは百年の歴史を誇る老舗出版社である。しかし片やコンビニ流通から蹴られ始めたヤクザ漫画、片やNHKで人気ドラマと化した作品が両輪とかなかなか素敵なお話である。どちらもヒット作だから、静かなるドンの担当とゲゲゲの女房の担当は肩を並べて昨年の社内表彰を受けたのだろう。そう思うと少し笑える。まあNHKドラマと言っても題材が「水木しげるとその妻」だから、異色と言えば異色、実業之日本社らしいとも言えるわけだが。 さて置き、話を戻すと、実際こんな受動的なヒロインが朝ドラの主役である事は珍しいらしい。専業主婦がヒロインである事自体過去に一例しかないそうだ。無論洗濯機も自動車も冷蔵庫もないような時代の専業主婦が大変だった事は理解出来るが、やはり普通ドラマの主役はもう少しアクティブであってもいいはずだ(ちなみにここの部分の文章は私の意見のように書いているがネットで拾った他人の意見、つまりは盗文である。万が一誰かに指摘される前に自分からカミングアウトしてみました。マンモステヘッ♪)。 私は全く覚えていないが前作ウェルかめも頑張るキャリアウーマンの話だったらしい。 Wikipediaで確認してみよう。なになに、発行部数二千部のミニコミタウン誌で悪戦苦闘する新米女性編集員の物語?フーム、確かに言われてみればそんなお話だったような気もする。仄かに。まあ何というか今一現実感の薄いドラマだったようだ。ゲゲゲのヒロインよりは頑張り屋さんだったのかもしれない。でも全然覚えていない。現実とは残酷なものである。 と言うかまず発行部数二千部で会社運営は無理である。いくらミニコミ誌だからって、それで六人の編集部員の給料は出せない。ドラマ作成における考証の甘さが伺える。ただウェルかめスタッフの名誉のために二千部でも会社が存続出来る可能性を考えて見よう。
1.オーナーの道楽で刊行されている お金に余裕のある人間がマスコミごっこに精を出すパターンは多い。これが過ぎると楽天の三木谷みたいなわかりやすいマスコミ傘下支配願望に繋がる。
2.オレの会社のカネはオレたちのモノ ブラック企業等でよくあるパターンだが、社内報の形で従業員(たいがいオーナーの身内)を高給で雇わせ、つまんない編集作業をさせつつ一流出版社並みの待遇を与えるケースである。社内報だとさすがにあからさますぎるので世間体の良い地域ミニコミ雑誌の体裁をとっている可能性はある。
3.スポンサーにぽちゃさんを貢ぐ ミニコミ誌と言うからには広告で収入を得ているはずだ。しかし二千部の雑誌に広告を出すなんて私だったら五百円でも嫌だ。だが私がビル・ゲイツ級の大金持ちで、オフィスに身長148センチ体重80キロバスト104センチJカップ42歳の女性編集長が「我が誌の広告スペースを買って下さい。もしお買い上げ下さればお礼に私と私の二十歳になる娘の専属愛奴契約にサインします」と売り込みに来たらどうだろう。娘のサイズは身長166センチ体重102キロバスト134センチMカップ眼鏡っ子であると仮定する。私は紳士だからそんな金で女体を囲うような真似はしないが、世の中には何歳になっても性欲の衰えることのないエテ公もいるものだ。あーいやらしいいやらしい。雑誌存続を願う母娘の弱みにつけ込んで肉欲のおもちゃ奴隷に改造しようなどとまともな大人の所業ではない。なに、編集長の役はそんなに肥えていない室井滋でそんな大きい娘もいなかったって?だったら編集長は妹や姪を使ってまでして有力者から金を引き出したのかもしれない。ひどい話だ、鬼畜の所業だ。しかし人類など所詮は猿のアップデートバージョンに過ぎない。そんなわけでゲイツ君は女体を我がものにする代わりに発行部数二千部の弱小ミニコミ誌にも廃刊、倒産を免れる恩恵が与えられるわけだ。
汚い。世の中は汚い。そこまで無理して雑誌を存続させてどうするのだろうか。しかし案の定ドラマ終盤で雑誌は廃刊となってしまうらしい。 そしてヒロインは地元に「道の駅」なるものがある事を知り、そこでアルバイトをしながらフリーペーパーを発行する展開らしい。もっともネット上には「タウン誌の編集員が地元の道の駅の存在も知らなかったとか有り得るかよ、アホ」とか、無慈悲なレビューが転がっている。やはりどう擁護しても、今一つパッとしない作品であった事には間違いないようだ。 ぽちゃさんも無闇にやたら頑張って空回りして周りが見えていない子よりのほほんとしている子の方が取っつきやすい。 頑張った人間を描いたつもりが「なんか痛い」「暑苦しい」との評を得てしまい、何もしない人が主役の作品が「懐かしい」「引き込まれる」と評判が高いのも考えてみればおかしな話だが、やはり「おしん」ぐらい過酷に人生に立ち向かっていくわけでもなければ「何張り切ってるのあの子、超ウザー」とか言われてしまうのが今時の平成社会という野茂、もとい、ものだろう。それにいくら働こうとも収入に直結しないワーキングプアの時代で、「私が編集長になってフリーペーパーを作るの!」と主人公が叫んでも「ああそうかい、やれるんならやってみればいいんじゃないの?それで儲かるんならよ、ケッ」と、見る側が擦れてしまっている可能性もある。 家庭を守り、子を育て、毎日の家事をこなすという、虚のない現実の営みが普通に許された時代を、時代が欲しているのだろうか。 ニヒリストである水木しげる(人でなしかよ!と思える事もあるくらい徹底しているらしい)は物語を単なる事象として捉え、自らの思うがままに筆を動かした。しかし陰鬱で暗いタッチの氏の作品にはどこはかとなく自由で朗らかな、緩やかな共生の意志が滲み出ている。 水木しげるが結婚後にヒットを飛ばしてブレイク出来たのは偶然だろうか。 NHKドラマ、ゲゲゲの女房の画面には穏やかな時間の流れが滲み出ている。本当の水木しげる夫妻の息遣いが画面に現れているものと同種であれば、本物の放つ物語の豊かさは、作られた物語が簡単に追い付く世界ではないと言う事なのだろうか。 私たちは知っている。ぽちゃさんもただいるだけで肯定される存在である。ゲゲゲの女房は、安らぎを求める人たちの琴線に触れる名作なのかも知れない。 あ、河童の三平をまた読みたくなってきた。あれは面白いよ、マジで。あの俗物感が物凄い好き。
(今回のブログはウェルかめを貶すような内容になってしまったが決してそんな事はない。そもそもどちらもなんだかんだ言ってちゃんと観ていないのでぶっちゃけ本当にゲゲゲの方が面白いのかも良くわからないなあと言うのが本音である。それに、少なくともヒロインの乳はウェルかめの圧勝だ。倉科カナはあと40キロ越えれば最強の女体になると思うがどうか。ただ、NHKでやっていた「大人気ドラマウェルかめ舞台裏特集」とか言う番組を事務所で醒めた目で見ていた私がいた事は否定しない)
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