さらば今年
いよいよ平成二十二年も終わりを迎える。平成二十三年と言えば西暦で言うと2011年だ。恐ろしい。なんとあの伝説の未完の映画、機動戦士ガンダムF91が公開されてから二十年経ったと言う事だ。
光陰矢の如く時は流れ、一年という期間が瞬時に過ぎていく。その一年一年が積み重なり、十年二十年三十年と蓄積されていくのだ。そして人は老い、朽ちる。きっと次の一年もあっという間に過ぎ去っていくのだろう。過去は私たちを置いて行き、遠く手の届かない忘却の彼方へ消えて言ってしまう。思い出は無残に去り、モノクロームの風景に溶けて行く。 この、今という時間を共に過ごす大切な人と人のぬくもりこそが真実だ。Truthだ。ポルトガル語で言うとVerdade。バスコ・ダ・ガマもびっくりだ。
愛すべき太い肉体と揺れる乳こそが私たちに潤いを与え、今という時を生きるための勇気を与えてくれる。その際は丸ければ丸いほど良いだろう。究極の美は曲線にこそ存在すると昔の偉い人も言っていた(嘘である。今思いついた)。 ぽちゃさんの体は極めて優雅な曲線で構成されている。頬も丸い。腹も丸い。胸も丸い。太股も丸い。目玉も丸い。一次元で描かれたサインカーブが二次元で円を描き、三次元的に球体となって完成される。正に衝撃のワンツースリーと言えるだろう。ボクシングでもジャブ、ストレートのコンビネーションに間髪入れずフックを混ぜれば強烈な威力になる。野球でもバース、掛布、岡田の三連発は歴史に残った。ストIIやバーチャファイターでも三つ以上のコンボが決まるとビジュアル的にもカッコイイ。 愛と勇気と力とが静かに眠る海の底 飛び立て飛び立て飛び立て 三つのメカが一つになって ザンボエースも泣いている。大山のぶ代の嗚咽と共に。 そんなわけで年末である。あまりに忙しい年の瀬だ。まあ前から書いているように私はシフト制の仕事なので、忙しい師走を終えた後正月休みが待っていてくれていると言う事もなく、元旦からそのまままた勤務である。何か納得がいかない気分だ。それにシフト制なのだから元旦休みの年度があっても良いような気がするのだが、運悪くこの数年一月一日の元旦は連続出勤中である。だが「仕事がない」よりはよいだろう。寒波も接近している。この冷えた体を暖かく受け止めてくれる女体があれば贅沢は言わない。 今そこに在る女体こそが人の真実なのだ。Truthだ。スペイン語で言うとVerdad。フランシスコ・ザビエルもびっくりだ。ポルトガル語と殆ど変わらない気がするが東大もとい兄弟(京大)言語のようなものだからいいだろう。クニマスとヒメマス程度の差異である。刹那、この瞬間、同じ時を過ごし、語らう男と女がいれば、彼らは幸せなのだと言える。そしてそれは私の趣味に基づけば豊満な肉塊を有する女性でなければいけないと国会で青島幸男が決めたのだ。 君はどこもまでさまよい歩く気か、見よ、善き肉はすぐ近くにある(ゲーテ) 偉大なるゲーテも身近な豊満女体を愛でる喜びを詠っている。ちなみにどうでも良い話だが我が家には祖父が購入したらしい「集詩テヱグ」なる大正時代の本が書庫にあったのだが、今思えば「ゲーテ詩集」と書かれていたものであったと推測される。本当にどうでもいい話だが(それに以前ブログで書いた気もする。ま、いいだろう。私は広い心の持ち主故に、細かい事は気にしない)。 何はともあれ今この時この瞬間はあっという間に過ぎ去って過去という名の地平線の彼方へ消えて行ってしまう。 だから私たちは今出会える喜びを分かち合い、本当に大切な人が誰なのかを見極めなければならない。 急ぎ足で一年が駈け去っていく。君はこの一年の積み重ねの果てで、大切な日々に巡り会えただろうか。 キーワードはPOCHAだ。ぽちゃ、ぽっちゃりした女肉の恵みだ。 人はパンのみにて生くる者に非ず。露わな肉体とそれに付随する乳こそが重要だ。 私たちは真実に辿り着いた。共にあり、慈しみ、心寄せ合える大切な恋人たちが、いつまでも喜びの詩を奏でられますように。
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