高岡蒼甫吼ゆる
「韓流」に傾斜するフジテレビを批判するツイートを発した俳優の高岡蒼甫が所属事務所のスターダストプロモーションをクビになった。こんな発言をしたからには干されるだろうなあとは思っていたが、あまりの素早い業界の反応には驚きを通り越してお笑いである。
正直フジテレビを初めとするマスコミ各社の韓国贔屓については多くの日本人が思っている事であり、正直言ってそんな大した発言ではないのだが、テレビ局からすれば韓国・朝鮮様関連は多大なお金を注ぎ込んでくれる大スポンサー様々で、そんな発言をする人間を使いづらいというのはある。テレビ局と一蓮托生の運命を歩む芸能プロダクションにしてもそんな所属俳優を許せるはずがなく、高岡に対して厳しい処分を下す事となった。
「図星を突かれた」というやつであろうか。テレビ局からすれば一番言ってはいけない発言をされたわけだ。 ここら辺大多数の国民感情と全く違う論理であり、「フジもスターダストも何をムキになっているんだよ」と嘲笑される理由となっているわけだが、マスコミなりの秩序を守るためには高岡をクビにするしか方法はなかったという事なのだろう。 しかし一般企業ならそれでもいいが、テレビ局というのは国の法律に従って徹底的に保護された、公共の電波の利用を許された限られた企業である。あんまり国民感情とかけ離れたところに存在する論理観を振り回されても困る。 「文化人」ビートたけしが政治家や有名人をおもしろおかしく茶化す分にはやんやの拍手で持て囃すくせに「韓国関連の番組ばっかり。8は韓国のテレビ局なのか?」と書かれたぐらいで顔を真っ青にして即時解雇とか、狭山もとい反応(ハンノウ)が露骨すぎて見ていて面白過ぎる。誰が見てももうネタが割れているのに台本の存在を最大のタブーとして黙殺し続けるプロレス業界みたいだ。 政治家と中国の関係もそうだが、お金と女と接待で権力者が縛り付けられ、最終的には奴隷となってしまうのが日本人の悪い癖だ。アメリカに対しても似たような所がある。何十年もかけてじっくりと飼い慣らされ、最終的には中国や韓国に対する悪口一つ口に出来ない世界にしてしまう。勿論一般の国民殆どにとっては関係のない話だが、政治家や経団連、マスコミのトップどころといった辺りが懐柔されてしまっているので手に負えない。 そう言えばテレビに出て来る「美女」はどいつもこいつも痩せている。またテレビ局はオカマキャラが好きだ。必ずいつの時代にも重用されるオカマが画面上を賑わわせている。そのくせ最もかわいいでっぷりと肥えた肉塊系の女体がクローズアップされる事はない。テレビ局の常識は私たち一般国民の常識とは常にかけ離れた所に存在するのだろうか。 その意味では高岡の嫁である宮崎あおいとかいう人もガリガリである。テレビ局によって作られたスターである嫁を持つ男がテレビ局によって作られたブームである韓流傾斜を批判する。興味深いパラドックスと言えよう。 私としては「2ちゃんねるで嫌われている芸能人」という以上の知識を全く持ち合わせておらず、ぶっちゃけ顔すら知らない高岡蒼甫と言う人間がどうなろうと知った事ではないと言えばないのだが、その同じ高岡蒼甫が今回の発言によって2ちゃんねるネトウヨ界のスターになってしまった事実には驚きを禁じ得ない。そもそも高岡蒼甫は2ちゃんねる上では在日認定されていたはずだ。それが多くの人が思っている事をチロっと口にしてしまっただけで業界からもファンからもキモヲタからも受ける評価が一変二変してしまうのだから。 私たちも冷静に自分という人間の意見をしっかりと固定させて、他者に左右されず生きて行きたいものだ。そう、あの偏屈な中日ドラゴンズ監督落合博満のように。 マスコミが韓国をいくら推そうが政治家がいくら中国におべっかを使おうが、自分自身の身上、意志、信仰を大事にし、真っ直ぐに生きていける人間になりたい。 私の夢は、ぽちゃさんと共にある。 そこを間違えずに、どんな世の中であってもはっきりと自分自身の意見を貫ける男となりたいものだ。 そんなわけで私もフジテレビ及びスターダストに対しては嘲笑するしかないわけだが、自身の今後の俳優人生に影響がある事がわかってもこれを口に出来た高岡蒼甫に「偉いよアンタ」と声を掛けてあげたい気分である。 何かを言った奴は何も言わない奴より絶対偉いと思う。 それでもクスリや女関係でならいくら失敗しても何回でも復帰出来る業界なのに、韓流傾斜だとかジャニー喜多川批判だとかちょっとしただけで永久追放同然の処分を受けなければならないとか、芸能界も報道界も小せえ世界である。 フジ以外のテレビ局も普段ならワイドショーなんかでおもしろおかしくどうでもいい事件を取り上げているくせに今回はダンマリだ。 地デジの時代になっても彼らは旧態依然としたままだ。 所詮は古臭い昭和のメディア、お年寄りの権力者連中である。 こんな老人どもに惑わされず、己が信念を突き通さねばなるまい。
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